先刻《さっき》、八時頃先方の家《うち》を出て、矢張《やっぱり》この隣の裏門から入ったが、何しろこんな月夜でもあるし、また平常《ふだん》皆が目表《めじるし》に竹の枝へ結付《むすびつ》けた白い紙片《かみきれ》を辿《たど》って、茶席の方へ来ようとすると、如何《どう》したのか、途中で道を失って、何時《いつ》まで経《た》っても出られない、何処《どこ》をどう歩いたものか、この二時間あまりというものは、草を分けたり蔓《つる》に絡《からま》ったりして、無我夢中で道を求めたが、益々《ますます》解らなくなるばかり、偶然《ふと》先方《むこう》に座敷の燈《あかり》が見えるから、その方へ行こうとすると、それがまた飛んでもない方に見えるので、如何《どう》しても方角が考えられない、ついぞ見た事のない、谿谷《たに》の崖の上などへ出たりするので、自分では確《たしか》に気は付いていたようだが、急《あせ》れば急《あせ》るほど解らなくなって、殆《ほと》んど当惑していると、突然先生の声がしたので、初めて安心しました、と息をはずましながら談《はな》して、顔の色も最早《もう》真蒼《まっさお》になっていたので、二人ながら大笑《おおわらい》しながら、それからは無事に家に帰ったが、如何《いか》にも、この家《うち》というのは不思議な所で、後《のち》に近所で聞いてみると、怪物《ばけもの》屋敷という評判で、人が決して住《すま》まわないとの事だった、その怪物《ばけもの》の出る理由に就《つい》ては、人々のいうところが皆|異《ちが》っているので取止《とりと》めもなく、解らなかったが、その後《のち》にも、また他《ほか》の書生がこんな事に出会ったりなどして、如何《いか》にも気味が悪《わ》るかったから、安値《やす》くってよかったが、とうとう御免|蒙《こうむ》ったのであった。



底本:「文豪怪談傑作選・特別篇 百物語怪談会」ちくま文庫、筑摩書房
   2007(平成19)年7月10日第1刷発行
底本の親本:「怪談会」柏舎書楼
   1909(明治42)年発行
入力:門田裕志
校正:noriko saito
2008年9月25日作成
青空文庫作成ファイル:
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