もろあぶみ》を合せて馳せた。更に途中に在る者共に命ずるには、一手は道筋の里々にて松明《たいまつ》を出さしめ、後続する軍の便宜を与うべし、更に一手は長浜の町家に至り米一升、大豆一升宛を出さしめ、米は粥《かゆ》に煮て兵糧となし、大豆は秣《まぐさ》として直ちに木の本の本陣に持ち来《きた》るべしとした。用意の周到にして迅速なるは驚くべきものがある。夜九時頃には既に木の本に着いて居たのである。
 さて一方、盛政は大野路山に旗本を置いて、清水谷庭戸浜に陣を張って賤ヶ岳を囲んで居ったが、桑山修理亮の言を信じて、夕陽《せきよう》没するに及んで、開城を迫った。然るに修理亮等は最早《もはや》救援の軍も近いであろうと云うので、忽ち鉄砲をもって挑戦した。盛政怒って攻め立て矢叫《やたけ》びの声は余呉の湖に反響した。丁度此時、丹羽長秀、高島郡大溝の城を出でて、小船で賤ヶ岳の戦況を見に来合せたが、賤ヶ岳の辺で矢叫び鉄砲の音が烈しいのを聞いて、さては敵兵|早急《さっきゅう》に攻むると見えた、急き船を汀《なぎさ》に付けよと命じた。供の者はこんな小勢で戦うべくもないと云った処、長秀、戦うべき場所を去るは武将ではないと叱っ
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