一人して通ったが、馬はみな落ちてしまった。ある者が馬の口だけをとり、あとを見ずハイハイと云って引いた処が一匹も落ちなかったと云う。馬は馬なりに信用すればいいものと見える。一益は長島に在って予《あらかじ》め兵を諸所に分ち、塁を堅くして守って居た。秀吉自ら、亀山城に佐治新助を攻めたが、新助よく戦った後ついに屈して長島に退いた。秀吉更に進んで、諸城を陥れんとして居る処に、勝家出馬の飛報を受け取ったのである。伊勢の諸城を厳重に監視せしめて置いて、秀吉は直ちに長浜に馳せ来った。秀吉、勝家決戦の機は遂に到来したのである。
勝家は信孝の急報に接しながら、雪の為に兵を動かす事も出来ずに居たが、雪の溶けるのを待ち切れず、江州椿坂までの山間の雪を人夫をして除かせた。しかし折角《せっかく》取除く一方から、又降り埋もれてその甲斐もなかった。何時までも、それだからと云って、待つわけにもゆかないので、三月七日、先鋒の大将として、佐久間|玄蕃允《げんばのすけ》盛政、従う者は、弟保田安政、佐久間勝政、前田又左衛門尉利家、同子孫四郎利長等を始めとして、徳山五兵衛、金森五郎八長近、佐久間三左右衛門勝重、原彦治郎、不破彦
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