三、総勢八千五百、雪の山路に悩みながら進み、江北木の本辺に着陣した。勝家も直に、軍二万を率いて、内中尾山に着いた。北軍の尖兵は長浜辺まで潜行して、処々に放火した。本陣は内中尾山に置いて、勝家|此処《ここ》に指揮を執り、別所山には前田利家父子、橡谷《とちだに》山には、徳山、金森、林谷《はやしだに》山には不破、中谷山には原、而して佐久間兄弟は行市《ぎょういち》山に、夫々布陣したのである。勝家の軍がこの処まで来て見た時には、既に余吾の湖《うみ》を中心として、秀吉の防備線が張られた後なのである。勝家この線を打破らなければ、南下の志は達せられないわけである。さて勝家南下の報に、長浜まで馳せ上った秀吉は、翌日には総軍三万五千余騎、十三段に分って、堂々|余吾床《よごのしょう》に打向った。先陣羽柴秀政。二陣柴田伊賀守の勢。三陣木村|小隼人《こはやと》、木下将監。四陣前野荘右衛門尉、一柳市助直盛。五陣生駒甚助政勝、小寺《おでら》官兵衛|孝隆《よしたか》、木下勘解由左衛門尉、大塩金右衛門、山内一豊。六陣三好孫七郎秀次、中村孫兵治。七陣羽柴美濃守。八陣筒井順慶、伊藤|掃部助《かもんのすけ》、九陣蜂須賀小六家
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