うのものを手元へ引きたいと思う意でござる。酒を好むとは、酒を手元へ引きたいという意でござる。故郷をアーンテレッケンするとは、故郷を手元へ引き寄せたいほど、懐しむという意でござる。かように、一つの言葉にても、むつかしきものにござれば、われらのごとき、幼少よりオランダ人に朝夕|親炙《しんしゃ》いたしおる者にても、なかなか会得いたしかねてござる。いわんや、江戸などにおわしては、所詮叶わぬことでござる。ご存じでもござろう。野呂玄丈殿、青木文蔵殿など、御用にて年々当旅宿へお越しなされ、一方ならず御出精なされても、はかばかしゅう御合点も参らぬようでござる。其許《そこもと》も、さような思召立《おぼしめしだて》は、必ず御無用になされた方がよろしかろう」
 西は、自分自身も、とっくに諦めきっているようにいった。
「なるほど、道理でござる」
 玄白も、そう答えるほかはなかった。相手がしきりに止めるものを、強いて学習の方法などをきくわけにもいかなかった。
「なるほど、大通辞の御辺が、さように思うておらるることを、われらがいかように思い立っても、及ばぬことでござる。所詮は、思い切るほかはござらぬ」
 玄白が、
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