ど、今一足進み申して、上戸と下戸との区別を問おうには、はたと当惑いたし申す。手真似にて問うべき仕方はござらぬ。しばしば、飲む真似をいたして、上戸の態《さま》を示し申しても、相手にはとんと通じ申さぬ。さればじゃ、多く飲みても、酒を好まざる人あり、少なく飲みても好む人あり、形だけにては上戸下戸の区別は、とんとつき申さぬ。かように、情《じょう》の上のことは、いかように手真似を尽くしても、問うべき仕方はござらぬ」
「なるほどな。ごもっともでござる」
 玄白も、相手の返事の道理を、頷かずにはおられなかった。
 玄白が、首肯するのを見ると、西はやや得意に語りつづけた。
「オランダの言葉の、むつかしき例《ためし》には、かようなこともござる。アーンテレッケンと申す言葉がござる。好き嗜むという言葉でござるが、われら、通辞の家に生れ、幼少の折より、この言葉を覚え、幾度となく使い申したが、その言葉の意《こころ》は、一向悟り申さなんだところ、年五十に及んで、こんどの道中にてやっと会得いたしてござる。アーンは、元という意《こころ》でござる。テレッケンとは、引くという意《こころ》でござる。アーンテレッケンとは、向
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