たまえと、かように祈り申したのじゃ。この誓いにも背き申すゆえ、序文の儀は平に許させられい!」
それをきいた玄白は、寂しかった。が、彼は自分の態度を卑下する気には、少しもなれなかった。彼は、良沢の態度を尊敬した。が、それと同時に、彼は自分の態度を肯定せずにはおられなかった。
彼は、晩年蘭学興隆の世に会った時の手記に、自分の態度を、次のように主張した。
「翁は、元来疎慢にして不学なるゆえ、かなりに蘭説を翻訳しても、人のはやく理解し、暁解するの益あるようになすべき力はなく、されども人に託しては、我本意も通じがたく、やむことなく拙陋《せつろう》を顧みずして、自ら書き綴れり。その中に精密の微義もあるべしと思えるところも、解しがたきところは強いて解せず、ただ意の達したるところを挙げおけるのみ。たとえば、京へ上らんと思うには、東海、東山二道あるを知り、西へ西へと行けば、ついには京へ上りつくというところを、第一とすべし。その道筋を教えるまでなりと思えば、そのあらましを唱《とな》え出せしなり。はじめて唱える時に当りては、なかなか後の譏《そしり》を恐るるようなる碌々たる了見にて企事《くわだてごと》はで
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