良沢は、それを見ると、心からおどろいたらしかった。彼は玄白の差し出した本を取り上げながら、表紙や扉を打ち返して見た。
「これは紛れもなく同本じゃ。不思議な奇遇でござる。奇遇でござる」
そういいながら、良沢は幾度も手を打った。良沢の態度は、天空のごとく開豁《かいかつ》だった。
「貴所と某《それがし》とが、期せずしてターヘルアナトミアを所持いたしおるなど、これはオランダ医術が開くべき吉瑞とも申すべきでござる」
良沢は、そう語をつづけて哄笑した。彼は、書中の一図を玄白に指し示しながらいった。
「御覧なされい! これが、ロングと申し肺でござる。これがハルトと申し心でござる。これはマーグと申し胃でござる。これはミルトと申し脾《ひ》でござる。医経《いきょう》に申す、五臓六腑、肺の六葉、両|耳肝《じかん》の左三葉、右四葉などの説とは、似ても似ぬことでござる。今日こそ、漢説が正しいか、オランダの絵図が正しいか、試すべき時期でござる」
良沢の顔は、究理に対する興奮で輝いていた。玄白も、良沢の高朗な熱烈な気持に接していると、自分の心のうちの妙なこだわり[#「こだわり」に傍点]などは、いつの間にか忘れ
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