わすことにいたそう」
淳庵は、座中を見回していった。一座は、すぐそれに同意した。
その時に、玄白の頭の中に、ふと良沢の顔が浮んだ。彼は、良沢がやはり観臓の希望の切なことを知っていた。一座の誰にも劣らないほど、切なのを知っていた。たとい、良沢がこの席にいあわさずとも、明日の一挙にもらすべき人でないことを感じていた。
が、彼は良沢の名を、気軽に口にすることができなかった。良沢に対する軽い反感のために、たやすく口にすることができなかった。その上、彼の心の一隅には、日頃一座に対して高飛車な、見下《みくだ》したような態度を取っている良沢が大切な企てにもれることを、いい見せしめ[#「見せしめ」に傍点]だと思う心が、かすかではあるが動いていた。
それに、誰もが良沢のことに気がついていない以上、自分が特に注意するにも、当らないと思っていた。
が、一座がそのままに立ち上りそうになると、玄白の心は、だんだん苦しくなっていた。軽い苛責が彼の心を鞭打った。彼は、良沢に対する自分の態度の卑しさに、気づかずにはおられなかった。
彼は、とうとう黙ってはおられなかった。
「前野氏がいる! 前野氏がいる!
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