、桑名藩にいたされた。文面は、次の通りであった。

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先般松平越中守依願帰国被仰候処|豈料《あにはか》ラン闕下ニ向ツテ発砲始末全ク反逆顕然不得止速ニ桑城退治ノ折柄過ル二十一日石川宗十郎ノ家来ニ托シ歎願ノ趣有之旁々万之助並ニ重臣一同浪花ヨリ分散ノ諸兵ヲ引連レ四日市本営ヘ罷出御処置|可承《うけたまわるべく》トノコト
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追テ参上ノ儀ハ二十三日夜五ツ|時期《どき》限ニ候其節宗十郎一手ノ内ヲ以テ誘引可有之事
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 一藩の人々は、愁眉を開いた。帰順がいれられたからである。が、一藩の人々が愁眉を開いたと反対に、生命《いのち》の危険を感じ始めた十三人の人々があった。それは、鎮撫使からの手控えの中に、はっきりと名指されている「浪花ヨリ分散ノ諸兵」であった。
 七日に馳せ帰った宇多熊太郎、十日に帰った築麻市左衛門を筆頭とし、その後数日の間に、近畿の間で、桑名藩の本隊と分かれ、思い思いの道を取って本国の桑名に帰っていたものが、すべて十三人。彼らはいわゆる「浪花ヨリ分散ノ諸兵」であり、鳥羽伏見の戦場で、錦旗に向って発砲したものに違いなかった。
 鎮撫使からの御汰沙によって、彼らがその本営に召《め》し出《いだ》される以上、彼らの運命は決ったといってもよかった。官軍では、桑名の投降をいれると同時に、錦旗に発砲したこれらの諸兵を斬って、朝威を明らかにしようとしているのだ――と、一藩の人たちは考えた。十三人の人たちが、他の人々よりも早く、それに気がついたはむろんである。彼らは当日、家を出るときに、銘々の妻子と水杯を掬《く》み交わした。
 幼年の主君万之助の乗った籠の後から、麻上下を付けて、白い鼻緒の草履を穿《は》いて、とぼとぼと付き従うて行く彼らを、一藩の人々はあわれな犠牲者として見送った。
 万之助主従は、四日市の町に入ると、瓦町の法泉寺で四つ時まで休憩した後、亀山藩士の名川力弥に導かれて、官軍の本営真光寺に出頭した。万之助と重臣たちは式台の上に上ることを許された。十三人の敗兵たちは、白洲の上に蹲《うずくま》っていた。
 衣冠束帯の威儀を正した鎮撫使の橋本少将が、厳かな口調で、次のようにいい渡した。

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越中守反逆顕然無道至極今更申迄モ無之為征討発向ノ処嘆願ノ趣有之旁々書面ノ通可心得
一、本城ヲ掃除シ朝廷ニ
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