東下を潔しとし、恭順を斥《しりぞ》けていたものの、心のうちでは、皆差し迫る妻子との別離を悲しみ、住み馴れた安住の地を離れて、生還の期しがたい旅に出る不安に囚われ、銘々心のうちでは、二の足を踏んでいたのであるから、多くの藩士たちは、口には出さないが、下士たちの絶対恭順論に心を傾けずにはいなかった。神籤《みくじ》のために、嫌々ながら、東下論に従っていた恭順論者は、再び自説を主張し始めた。かくて、一藩はまたもや激しい混乱に陥った。
 東下論の主張者である酒井孫八郎、杉山弘枝はおどろいて、下士たちの鎮撫方を、政治奉行の小森、山本に交渉した。二人は、彼ら自身恭順論者でありながら、必死に下士たちを宥《なだ》めて、籤に当って決った藩論に従わしめようと焦った。が、下士たちはその主張を固守して、一歩も退《ひ》かなかった。一方東下論者の酒井、杉山は、神籤によって決った東下を、明日にも実行しようと迫った。政治奉行の小森と山本とは、東下論者と下士たちの板挟みになって、下士たちの鎮撫不能の責任を負うて、城中で屠腹してしまった。それは十二日の午前であった。
 二人の死を、転機としたように――二人の死をまったくの犬死にするように、下士たちの恭順論は、いつの間にか藩論を征服していた。東下論者は、声を潜めてしまった。
 藩老たちは、同夜左のごとき、一書を尾州藩へ送って、朝廷へ帰順の取成しを、嘆願したのである。

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今般大阪表の始末|柄《がら》、在所表へ相聞え、深奉恐入候に付き上下一同謹慎|罷在《まかりあり》候。抑も尊王の大義は兼て厚く相心得罷在候処|不図《はからず》も、今日の形勢に立至り候段、恐惶嘆願の外無御座候。何卒《なにとぞ》平生の心事御了解被成下大納言様御手筋を以乍恐朝廷へ御取成寛大の御汰沙|只管奉歎願誠恐誠惶《ひたすらせいきょうせいこうたんがんたてまつる》 謹言
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酒井孫八郎
吉村又右衛門
沢|采女《うぬめ》
三輪権右衛門
大関五兵衛
服部|石見《いわみ》
松平|帯刀《たてわき》
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[#天から4字下げ]成瀬|隼人正《はいとのしょう》様

 次いで、同月十八日、官軍の先鋒が鈴鹿を越えたという報をきくと、同文の嘆願書を隣藩亀山藩へ送った。
 二十一日、鎮撫使から御汰沙の手控えが、亀山藩の手を通して
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