辞した。俺は、もうすっかり絶望していた。中田博士を通じて、俺が文壇に望みを繋いだのは、まったく俺の第二の誤算に近かった。俺はもう手を拱《こまね》いて、山野や桑田の華々しい出世を、見るよりほかにしようがないかも知れない。家へ帰ってから、しばらくは何も手につかなかった。偶然の機会が突発しない限りは、俺にはもうなんらの機会も、残されていないような気がする。

 四月五日。
「×××」は、第二号を発行した。山野は「邂逅《かいこう》」という短篇を発表した。俺はまたそれを飛びつくようにして読んだ。そう佳作ばかりが、続くわけはないと思ったからである。が、俺の安心はすぐ裏切られた。手堅くしかも底光りのするあいつの技巧が、またぐんぐん俺をやっつけてしまった。ことに主題《テーマ》は前の「顔」のそれに勝るとも決して劣らぬほどの光ったものだった。俺は山野に対する反抗の角を折ろうかとさえ思った。俺のあいつに対する反抗は、凡人が天才に対して懐く無意味な反感で、まったく俺自身の心得違いではあるまいかと、思い直そうとした。が、山野の皮肉な笑顔を思い浮べると、すぐむらむらとした嫉妬と反感が俺の全身を襲う。俺はどうしても、あいつの作品に頭を下げる気にはなれないのだ。

 四月十六日。
 山野の「邂逅」がまた評判がいい。ことに文壇の老大家たるK氏が、あいつの「邂逅」を激賞したという噂を、新聞で読んだ時、俺はもう「万事休す」だと思った。もう、あいつの声価は決った。あいつが不意に死なない限り、文壇に認められるのは既定の事実だ。俺は、もう仕方がないと諦め始めている。実際、俺の嫉妬を除いて考えれば、あいつが認められるのは至当なことかも知れない。が、至当であるかあるまいかは、問題でない。ただあいつが認められることが不快なんだ。山野が認められたとすると、桑田の順も決して遠くはない。岡本、杉野、川瀬なども皆相当のところへ行くに違いない。「ただ一人取り残される者」それはどう考えても、俺に相違なさそうだ。
 俺は、今日短い原稿を今度創刊になる雑誌「群衆」に送った。わずか七枚ばかりの小品だ。俺はこの「群衆」を主幹しているT氏に、たった一度会ったことがあるのだ。俺の小品が採用されたら、山野らに対して少しの反抗はなし得たことになるのだ。

 五月三日。
 俺は今朝、新聞の広告を見た時、今月の雑誌「△△△△」の小説欄に、山野の小説「廃人」が載っているのを見た時、俺はあっと驚いたまま、しばらくは茫然とした。俺は鉄槌で殴られたような打撃を感じながら、まだ自分の視覚を疑った。どんなに評判がよくても、文壇の中央へ乗り出すのには間があるだろうと高を括っていたのは、俺の誤りだった。あいつは、俺のそうした予想を見事に裏切ってしまった。もう、あいつが流行作家で、俺が無名作家であることは、厳として動かすべからざる事実だ。俺は眩《まぶ》しいものを見るように、あの広告を見た。山野敏夫――という三号の活字が、さながら俺を嘲笑しているように感じた。題名の「廃人」は、作家としては「廃人」に近い俺を、モデルにしたのではないかとさえ思った。が、俺はこれほど反感を持っているあいつの作品が、一刻も早く読みたくなるから不思議だった。山野の作品を読むために「△△△△」を買うこと、換言すればあいつの作品のために「△△△△」が一部でも多く売れることは、考えてみれば少し不快だったが、それでも俺はあいつの作品が、読みたくて堪らなかった。
 俺は見たくもないものをおずおずと見るような心持で、あいつの作品を読んだ。読んでみると、あいつの作品は、俺の嫉妬や競争心を押し退けておいて、俺にぐいぐいと迫ってきやがる。俺は、残念で堪らない、あいつに対する反感が、あいつの作品の力に押し退けられて、わけもなく感心してしまうのだ。あいつに反感を持たない一般の批評家が、感心するのももっともな話だ。それを思うと、俺は情なくなる。俺は「△△△△」を手にしながら、あいつに絶対的に打ち負かされたことを明らかに感得した。
 俺は「△△△△」と共に、自分が寄稿した「群衆」を買ってきた。俺の小品も編集者の好意で、二段組ではあったが掲載されていた。が、「△△△△」と「群衆」! それは雑誌としての勢力において、無限大の隔たりがあった。俺は山野が偶然、「群衆」を手に取って、俺の作品に気がついた時、「ふふん」と嘲弄の微笑をもらす、その顔付までが歴然と感ぜられた。
 もう「勝負はあった」という気がする。俺の負けは俺自身にさえ明らかだ。なあに! 初めから勝負になっていなかったのだ。「△△△△」のあいつの小説の第一ページをじっと見つめていると、無念と絶望の涙が頬を伝って流れた。俺が、「△△△△」を見ていると、偶然佐竹君がやって来た。そしてまたいつものように創作の話を始めた。
「六百枚の方は、一昨日とうとう書き上げてしまった。僕はこの二、三日そのために愉快で堪らないのだ。少し静養したら、いよいよ千五百枚のものにかかるんだ。こっちが完成したらもうしめたものさ」と相変らず元気なことをいっていたが、ふと「△△△△」が佐竹君の目に入ると、
「山野君の『廃人』が載っていたね。ありゃそう恐るるに足るものじゃないね。ただ思いつきばかりのものだ。芸術としてはむしろ邪道だね」と、いった。が、俺はもうこの男の罵倒から、なんらの慰安をも感じなかった。思いつきばかりでもいい、芸術の邪道でもいい、文壇に認められる方が、どれほどいいことかわからなかった。六百枚の長篇を終って、千五百枚の大作にかかっている佐竹君よりも、三十枚ばかりの器用な短篇を書いて、一躍して認められた山野の方が、俺にはどれほど羨《うらやま》しいかわからなかった。
 俺は、それから意外なことに気がついた。俺は何気なく佐竹君に「群衆」を見せて、俺のわずか七枚の小品を指し示すと、それを見た佐竹君の瞳は、異様な輝きを帯びた。
「なんだ! こんな短篇か!」と、彼は吐き出すようにいった。
「この雑誌は一体、誰が経営しているのだ! 一人としてろくなやつが書いていないじゃないか! 草田花子! あ! こいつか! こりゃ君! この間、山本という男と、作品の褒め合いをしたかと思うと、獣《けだもの》のようにすぐくっつき合った女じゃないか。こんな女が小説を書いているんだね」と、佐竹君は「群衆」の寄稿者をことごとく罵倒した。そして「群衆」という雑誌が低級な雑誌でそれに書いている者が、ことごとくろくでもない奴らであると結論した。
 俺は、俺のわずか七枚の小品が、これほど佐竹君を激昂させたことに驚いた。この男は雑誌「群衆」をけなすことによって、俺の作品を無視しようとかかったのだ。が、それはまったく反対の事実を語っている。俺の小品が七枚でも活字になったことは、佐竹君にとって決して愉快なことではなかったのだ。俺が山野の作品によって感じているような反感と焦躁とを、佐竹君もやっぱり感じているのだ。六百枚の長篇を書き上げて、堂々と小説の大道を歩んでいるはずの佐竹君が、活字になった俺のわずか七枚の作品から圧迫を受けるとは、考えてみれば不思議なことだった。
 が、俺は俺の小品を無視しようとした佐竹君を、決して憎めなかった。俺は山野より天分が劣っていることを自覚しながら、なお山野の出世を呪っているのだ。まして、自分の作品に十分の自信を持っている佐竹君が、自分の作品が活字になる前に、俺の片々たる作品が活字になったのを不快に思うのは、むしろ当然のことかも知れない。
 が、俺は考えた。創作ということが、ある人々の考えているように絶対のものなら、なぜに人はただ創作するだけで満足することができないのだろう。佐竹君のごときは、六百枚の長篇を書き上げたことそのものによって、十分芸術欲を満足していなければならないはずだ。それが、どうして発表することについて、ああした苦悶があるのだろう。ことに俺などは創作というよりも、先に発表ということについてもだえている。本当の芸術欲よりも文壇的名声といったようなものにとらわれている。が、佐竹君のように長篇を書き上げている人でさえ、活字になった俺の七枚の小品を見ると、取りみだすのだから、俺が山野の作品が出ることに血眼《ちまなこ》になるのも、あるいは当然のことであるかも知れない。

 五月十五日。
 俺は、今日久し振りで山野の手紙を受け取った。どうせ俺を嘲笑し揶揄《やゆ》するための手紙だろうと思ったから、俺はちょっと開封する気にならなかった。が、夕方になってようやく開けて見ると、割合いに親切な文面であった。
「君も知っている通り、同人雑誌『×××』は創刊以来、割合い世間の注目をひいている。もう根気よくさえ続けていけば、皆ある程度まで出られるという気がする。従って、皆脂が乗りかかっている。それについては君だが、僕たちは、君が京都で独りぼっちでいることに対し大いに同情をしている。『×××』発刊の時にも、君をぜひ同人に入れなければならないのだが、君が東京におらぬため、ついいろいろ差支えがあって、やむなく君を入れることができなかった。僕たちは、それを非常に遺憾に思っている。が、この頃は僕もほかの雑誌から原稿を頼まれるし、桑田も近々ほかの雑誌に書くだろうから、『×××』は自然誌面に余裕ができるので、君の作品も紹介し得る機会がたびたび来るだろうと思う。だから、君もいいものがあったら、遠慮しないでどしどし送ってくれ給え。むろんあまりひどいものは困るが、水準《レベル》以上のものなら欣《よろこ》んで紹介するから」
 この手紙を読んだ時、俺は今まで山野に対して懐いていた嫉妬や反感を恥かしいとさえ思った。俺が山野の世に現れていくのを呪っている間に、山野は俺のために好意ある配慮をなすことを忘れなかったのだ。彼らに対して意地を立てているよりは、彼らに接近して「×××」に作品を発表した方が、どれほどよいことだかわからなかった。山野の手紙を見た時、今まで俺には遮られていた光線が、初めて温く俺の身体を包むような気がした。俺はすぐ返事を書いた。あまり興奮してあいつに笑われはしまいかと思われるほど、興奮にみち感激にみちた手紙を書いた。そしてすぐ後から作品を送ることをいい添えた。俺の手紙は、明らかに卑しい哀願の調子を交えていた。俺は自分の態度のうちに征服された弱者が、強者におもねっているような、さもしい態度を感づいた。今まで、極端に呪詛《じゅそ》していた彼の、華々しい初舞台《デビュー》に対してさえ、賞賛の言葉を連ねた。が、俺にはそれを卑しむべきこととして思いとどまりうるほどの余裕はなかったのだ。山野の好意にすがることは、現在の俺にとっては唯一の機会だといってもよかったのだ。
 俺は手紙を出した後で、すぐ中田博士を訪問した。俺の脚本の「夜の脅威」を貰いに行ったのだ。博士のところへ持って行ってから、もう三カ月以上になる。博士はもうとっくに、俺の脚本のことなどは忘れてしまったと見え、たまたま俺に言葉を掛けることなどがあっても、脚本のことはおくびにも出さなかった。が、今度山野のところへ作品を送るとしても、いちばんまとまっているものは「夜の脅威」であった。考えてみれば、俺は発表のことばかりに気を取られて、本質的の創作にはまったく呑気《のんき》であったのだ。黙々として、千五百枚の大作にかかっている佐竹君のことを考えると、かなり恥かしく思う。
 中田博士は、いつものように在宅した。俺が来意を述べると、
「そうそう、君の脚本を預かっていたっけ」と、いいながら立って、書棚の一隅を探ってくれた。そして、おそらく俺が持ってきた時のままらしい俺の脚本を、取り出してくれた。俺は、それでも「夜の脅威」という表題を見ると、旧知にあったように懐しく思った。俺がこの三、四カ月間、焦慮に焦慮を重ねている間にも、俺の作品は中田博士の書棚の一隅で、悠々たる閑日月を送っていたのだった。「いよいよ発表することになったのですか。それは結構です。活字になった上で、まとまった批評をしましょう」とお世辞をいってくれた。俺は中田博士の、極度に無関心な態
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