度をむしろ尊敬した。帰ってから一度読み直すと、すぐ書留にして山野に送った。
五月二十五日。
山野から手紙が来た。俺はそれをなんらの感情を交えずに、この日記に再録しておこうと思う。この手紙を見た時の俺の感情は、ここには、どうしても表現することができないから。
「僕たちは皆、君の『夜の脅威』を読んだ。そしていい合わしたように、多大な失望を感じた。僕は遠慮なくいいたい。世間並のお世辞をいったって始まらないから。僕は第一、あの作の主題《テーマ》に失望した。あれは全然借りものじゃないか。君自身、本当の君自身から出たものではないだろう。僕はあの主題《テーマ》を君が何から借用したかを、的確に指摘することができる。が、主題《テーマ》を借りたのはいいとして、あの作品の全体にわたっている低級な感傷主義は、一体なんだ! 君は高等学校の一年生時代から、思想的には一歩も進歩していないね。僕たちは、あの頃の思想からは、もうすっかり卒業してしまっているのだ。僕は君の脚本から、なんらのいいところも見出さなかった。しかし、それは恐らく僕一人の不公平な評価だと思ったので、君の脚本を桑田、岡本、杉野などにも読ませたよ。が、彼らが君の作品に下した評語は、君に知らせることは見合わせよう。それはあまりに君を傷つける心配があるからだ。で、僕たちは遺憾ながらあの作品を『×××』に載せることは見合わすことにした。君が、僕のこの苦言に憤慨して、折り返し傑作を寄せてくれれば幸いだ」
罠《わな》! 俺は確かに山野の掛けた罠に掛ったのだ! あいつは自分の華々しい成功に浸りながら、その意識をもっと高調させるために、俺を傷つけてみたくなったのだ。あいつは桑田などに、
「どうだろう! 富井のやつ、京都で何をやっているのだろう。相変らず例の甘い脚本か何かを、書いているに違いない。どうだい!『×××』に載せてやるとかなんとかいって、あいつの作品を取り寄せて、皆で試験をしてやろうじゃないか」と、いったに違いない。人の好い杉野や岡本などが、心配して止めると、あいつはなお面白がって、実行に取りかかったのだ。あいつに似合わない親切な手紙は、こうした動機からでなければ、書かれるわけのものでない。山野に対する憎悪、永久に妥協の余地のない憎悪が前よりも十倍激しい勢いで、俺の心のうちにこみ上げてくるのを感じた。が、山野のトリックに掛って、うまうまと「夜の脅威」を、得意になって差し出した俺の弱さ加減を考えると、俺は自分の身をいとおしむ涙が双頬を湿《うる》おすのを感じた。
×月×日
もう「×××」がでてから、二カ年半になる。「×××」はもうとっくに廃刊してしまった。が、山野や桑田や岡本や杉野は作家として立派に登録を済まして「×××」同人として文壇を闊歩している。ことに、山野は一作ごとに文壇を騒がして、今では押しも押されぬ位置を占めてしまった。
俺と彼らとの距離は、もう絶対的に広がってしまった。かえって、こうなると、もう競争心も、嫉妬も起らない。俺は彼らが流行作家として、持てはやされる事実を、平静に眺めていることができる。一人の天才が生れるために、百の凡才が苦しむことが必要だ。山野や桑田などが、持てはやされる陰には、俺一人ぐらいの犠牲はむしろ当然かも知れない。が、永久に無名作家として終る者は、俺一人ではあるまい。千五百枚の長篇が完成したかどうかは、きいてみないからわからないが、佐竹君は相変らず暗い顔をしている。そうして、文壇に新進作家が出るごとに、猛烈にけなしつけている。同人雑誌をけなしつけた吉野君も、相変らず健在である。が、あの人の創作が、相当な文芸雑誌に載ったことはまだ一度もない。
文壇においても、運がある点まで、重要な働きをしているのだ。そうでも思って、俺は諦めているのだ。が、俺はもう文壇について、考えることはよそう。作家としての生活以外に意義のある生活がないように思っていたのは、俺の迷妄だ。
俺はこの間、ヴェルレーヌの伝記を読んでいると、あのデカダンの詩人が晩年に「平凡人としての平和な生活」を痛切に望んだという事実を知って、俺はかなり心を打たれた。俺のように天分の薄いものは「平凡人としての平和な生活」が、格好の安住地だ。学校を出れば、田舎の教師でもして、平和な生活に入るのだ。
流行作家! 新進作家! 俺は、そんな空虚の名称に憧れていたのが、この頃では、少し恥かしい。明治、大正の文壇で名作《クラシックス》として残るものが、一体いくらあると思うのだ。俺は、いつかアナトール・フランスの作品を読んでいると、こんなことを書いてあるのを見出した。
(太陽の熱がだんだん冷却すると、地球も従って冷却し、ついには人間が死に絶えてしまう。が、地中に住んでいる蚯蚓《みみず》は、案外生き延びるかも知れない。そうするとシェークスピアの戯曲や、ミケランジェロの彫刻は蚯蚓にわらわれるかも知れない)なんという痛快な皮肉だろう。天才の作品だっていつかは蚯蚓にわらわれるのだ。まして山野なんかの作品は今十年もすれば、蚯蚓にだってわらわれなくなるんだ。
底本:「菊池寛 短編と戯曲」文芸春秋
1988(昭和63)年3月25日第1刷発行
入力:真先芳秋
校正:横木雅子
1999年1月1日公開
1999年8月27日修正
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