ような、深刻な皮肉な小説を文芸部の雑誌に載せていたし、桑田は桑田で、同じ雑誌に脚本をいくつも発表していた。しかも、それは洗練された技巧と、気の利いた構想において、まったく水際立った出来栄えを示している。そして、二人とも文芸部の委員であった。山野が「文芸部の委員をしていた者は、皆文壇的に有名になっているのだ」ということは、すなわち現在委員をしている山野が、将来容易に文壇に名を成すことができると、宣言したのとまったく同じであった。
 俺は、いつも山野が、自分の人格の強みを頼りとして、無用に他人を傷つけるような態度に出るのが不快だった。が、それにもかかわらず、あいつの才分を認めないわけにはいかなかった。山野でも桑田でも、確かに第一歩は踏み出しているのだ。しかるに俺は、あの頃はむろんのこと、今でも何もやっていない。その上、俺一人連中を離れて、文壇に出るのには非常に不利な京都に来てしまった。それには経済上の理由もあった。が、他の有力な原因は、俺は山野や桑田などの間にあって、彼らの秀《すぐ》れた天分から絶えず受けている不快な圧迫に、堪らなくなったためだと、いえばいわれないこともない。ことに、山野と
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