り読んだ上で、まとまった批評をしましょう」と、いつものように、悠然と答えたが、俺は、博士がまだ一枚も読んでくれていないことを直覚した。俺が、これほど焦躁のうちに努力して書き上げた作品を、一カ月半もの間、一読もしないで、置きっ放しにしておいた博士を、俺は少し呆気《あっけ》に取られて見た。が、博士には、それが、あまり不自然ではないらしいと見えて、すぐ話題を換えて話し出した。
「フランスの近代劇の中にも、なかなかいいものがありますよ。近代劇といえば、北欧の専売にように思っているから、困りますよ。なんといっても、芝居はフランスが元祖で、イプセンなども、やはり作劇術の点においては、明らかにフランス劇の影響を受けていますよ」
俺はフランス劇の話などきくような心持ちとはまるきり懸け離れていた。中田博士の手の中にある俺の「夜の脅威」は、一体いつが来たら、日の目を見るだろうと、そればかりを心配していた。俺は、いっそのこと、貰って帰ろうかと思った。が、実際中田博士の手を経ずして、文壇に一指を届かすことさえ、俺には難しいことであった。
俺は、フランス劇の話を一時間ばかりしようことなくきいた後、博士の家を
前へ
次へ
全45ページ中30ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
菊池 寛 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング