を自覚しながら、なお山野の出世を呪っているのだ。まして、自分の作品に十分の自信を持っている佐竹君が、自分の作品が活字になる前に、俺の片々たる作品が活字になったのを不快に思うのは、むしろ当然のことかも知れない。
 が、俺は考えた。創作ということが、ある人々の考えているように絶対のものなら、なぜに人はただ創作するだけで満足することができないのだろう。佐竹君のごときは、六百枚の長篇を書き上げたことそのものによって、十分芸術欲を満足していなければならないはずだ。それが、どうして発表することについて、ああした苦悶があるのだろう。ことに俺などは創作というよりも、先に発表ということについてもだえている。本当の芸術欲よりも文壇的名声といったようなものにとらわれている。が、佐竹君のように長篇を書き上げている人でさえ、活字になった俺の七枚の小品を見ると、取りみだすのだから、俺が山野の作品が出ることに血眼《ちまなこ》になるのも、あるいは当然のことであるかも知れない。

 五月十五日。
 俺は、今日久し振りで山野の手紙を受け取った。どうせ俺を嘲笑し揶揄《やゆ》するための手紙だろうと思ったから、俺はちょっと開封する気にならなかった。が、夕方になってようやく開けて見ると、割合いに親切な文面であった。
「君も知っている通り、同人雑誌『×××』は創刊以来、割合い世間の注目をひいている。もう根気よくさえ続けていけば、皆ある程度まで出られるという気がする。従って、皆脂が乗りかかっている。それについては君だが、僕たちは、君が京都で独りぼっちでいることに対し大いに同情をしている。『×××』発刊の時にも、君をぜひ同人に入れなければならないのだが、君が東京におらぬため、ついいろいろ差支えがあって、やむなく君を入れることができなかった。僕たちは、それを非常に遺憾に思っている。が、この頃は僕もほかの雑誌から原稿を頼まれるし、桑田も近々ほかの雑誌に書くだろうから、『×××』は自然誌面に余裕ができるので、君の作品も紹介し得る機会がたびたび来るだろうと思う。だから、君もいいものがあったら、遠慮しないでどしどし送ってくれ給え。むろんあまりひどいものは困るが、水準《レベル》以上のものなら欣《よろこ》んで紹介するから」
 この手紙を読んだ時、俺は今まで山野に対して懐いていた嫉妬や反感を恥かしいとさえ思った。俺が山野の世に現れ
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