万の大将は隆景である。秀家始め三奉行、黒田長政等も、各々順序を以って陣構えした。
先陣宗茂の部将小野和泉は、我に一将を副《そ》えて前軍と為せ、敵の斥候隊を打破ろう。斥候が逃げれば後続の大軍動揺するであろう。そこをつけ入るべしと勧めたから、宗茂は和泉に立花三左衛門を副えて前備《まえぞなえ》とした。池辺竜右衛門進出で、我日本の戦闘は小人数の打合が多い。しかし明軍の戦の懸引は部隊部隊を以てして居る。これに対抗するには散兵戦では駄目である。と云うので、中備を十時伝右衛門、後備は宗茂と定《きま》った。準備は全く整った。その宵黒田長政例の水牛の角の甲を被って宗茂の陣に来り、一方を承ろうと云った。宗茂の軍、長政の勇姿を見て奮い立ったと云う。宗茂長政二人とも、二十五歳で、正に武将の花と云ってよかった。
正月二十六日の午前二時、宗茂の軍は、十時但馬、森下備中の二士に銃卒各数十人を率いさせて斥候に出した。この時坡州の李如松も亦出登して京城へ進軍しつつあった。明軍の方でも既に斥候を放つばかりでなく、遠近の山野に伏勢を布いたりした。十時森下の一隊は伏勢を察して、此処かしこ距離を置いて鉄砲を放ち、大勢であるが如くに見せかけた後、突入したから伏勢は追い出されて散々である。宗茂この報を受けるや直ちに進登を命じた。この朝寒風が強い。宗茂|粥《かゆ》を作って衆と共に喫し、酒を大釜に温《あたた》めて飲みもって士気を鼓舞したと云う。前備小野和泉が出登しようとして居る処へ馳《か》け込んだのは中備の将十時伝右衛門である。伝右衛門和泉に向って前備を譲らんことを乞うた。和泉は驚き怒り、軍法をもって許さない。伝右衛門は和泉の鎧の袖にすがって、今日の戦は日本|高麗《こま》分目の軍と思う。某は真先懸けて討死しよう。殊死して突入するならば敵陣乱れるに相違あるまい。其時に各々は攻め入って功を収められよ。先懸けを乞うのは八幡大菩薩私の軍功を樹《た》てる為ではない。こう云って涙を流した。和泉感動して、ついに前軍と中軍と入れ代った。霧が深く展望がきかないままに、明の先鋒査大受は二千の騎兵を率いて恵陰嶺《けいいんれい》を過ぎて南下したが、十時が五百の部隊、果然夜の明けた七時頃に遭遇した。弥勒院《みろくいん》の野には忽ち人馬の馳せかう音、豆を煎《い》る銃声、剣戟の響が天地をゆるがした。天野源右衛門三十騎計りで馳せ向うが、明軍は
前へ
次へ
全15ページ中10ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
菊池 寛 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング