臣として、苦心|惨憺《さんたん》の奔走をして居た柳成竜《りゅうせいりゅう》が来て、陣中に会見した。成竜平壌の地図を開き地形を指示したが、如松は倭奴|恃《たの》む処はただ鳥銃である。我れ大砲を用うれば何程の事かあらんと云って、胸中自ら成算あるものの如くである。悠々として扇面に次の詩を書いて成竜に示した。
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|提[#レ]兵星夜到[#二]江干[#一]《へいをひっさげせいやこうかんにいたる》
|為[#レ]説三韓国未[#レ]安《いうならくさんかんくにいまだやすからずと》
明主日懸旌節報《みんしゅひにかくしょうせつのほう》
微臣夜繹酒杯観《びしんよるすつしゅはいのかん》
|春来殺気心猶[#レ]壮《しゅんらいさっきこころなおさかんなり》
|此去[#二]妖氛[#一]骨已寒《ここにようふんをさるほねすでにさむし》
|談笑敢言非[#二]勝算[#一]《だんしょうあえていうしょうさんなしと》
|夢中常憶跨[#二]征鞍[#一]《むちゅうつねにおもうせいあんにまたがるを》
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如松、更に進み、先ず先鋒の将をして、行長陣に告げて曰く、「沈惟敬|復《また》来る。宜しく之を迎うべし」と。行長等喜んで其士武内吉兵衛、義智の士大浦孫六等二十余人をやった。明軍は迎えて酒宴を張ったが、半ばにして伏兵起り吉兵衛を擒にし従兵を斬った。孫六|他《ほか》二人は血路を開いて漸《ようや》く平壌に逃げ帰った。茲に至って行長等明の為に欺かれた事を知ったが既におそかった。
正月五日には、平壌の城北|牡丹台《ぼたんだい》、七星門方面は右脇大将張世爵以下の一万三千が、城西普通門方面は左脇大将楊元以下一万一千が、城南|含毬門《がんきゅうもん》方面は中脇大将李如柏、朝鮮の武将李鎰以下一万八千が、来襲した。東は大同江だから完全な包囲攻撃である。平壌に籠る日本軍は、一万一千、夜襲を屡々試みたが成功するに至らなかった。七日午前八時如松は総攻撃を命令した。明軍の大将軍砲、仏郎機《フランク》砲、霹靂《へきれき》砲、子母砲、火箭《ひや》等、城門を射撃する爆発の音は絶間もなく、焔烟は城内に満ちる有様であった。日本軍は壁に拠って突喊《とっかん》して来る明軍に鳥銃をあびせる。明軍死する者多いが、さすがに屈せず屍《しかばね》を踏んで城壁を攀《よ》じる。日本軍刀槍を揮って防戦に努めるけれども、衆寡敵せず内城
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