父さんがあるとしたら、それは俺を子供の時から苦しめ抜いた敵じゃ。俺は十の時から県庁の給仕をするし、おたあさんはマッチを張るし、いつかもおたあさんのマッチの仕事が一月ばかり無かった時に、親子四人で昼飯を抜いたのを忘れたのか。俺が一生懸命に勉強したのは皆その敵《かたき》を取りたいからじゃ。俺たちを捨てて行った男を見返してやりたいからだ。父親《てておや》に捨てられても一人前の人間にはなれるということを知らしてやりたいからじゃ。俺は父親《てておや》から少しだって愛された覚えはない。俺の父親《てておや》は俺が八歳《やっつ》になるまで家を外に飲み歩いていたのだ。その揚げ句に不義理な借金をこさえ情婦を連れて出奔《しゅっぽん》したのじゃ。女房と子供三人の愛を合わしても、その女に叶わなかったのじゃ。いや、俺の父親《てておや》がいなくなった後には、おたあさんが俺のために預けておいてくれた十六円の貯金の通帳《かよいちょう》まで無くなっておったもんじゃ。
新二郎 (涙を呑みながら)しかし兄さん、お父さんはあの通り、あの通りお年を召しておられるんじゃけに……。
賢一郎 新二郎! お前はよくお父さんなどと空々しい
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