った。
日は既に暮れて、寒月が高く冴えて居る。白雪に埋った山野には、低く靄《もや》がかかって居て、遠く犬の声が聞える。淋しさと寒さとの中に斥候の報告を待って居る散兵線はにわかに附近の林中からの銃火を浴びた。乃木は我の寡兵を悟らせまいとして尽く地物に隠れさせ、発砲を禁じ、銃剣をつけさせ、満を持した。午後七時薩軍は、ふり積む白雪の上を、黒々となって吶喊《とっかん》して来た。乃木軍始めて発砲し応戦したが、薩軍の勢は次第に増し、乃木隊|頗《すこぶ》る苦戦である。将校も負傷者の銃をとって射撃し、激戦午後九時にまで及んだが、薩軍は次第に官軍を包囲する状態にまでなり、全滅の危機に臨んだので、退却を決意し、河原林少尉をして、軍旗を捲いて負わせ、兵十余人を付けて衛《まも》らしめ、火を挙げるのを合図に、全軍囲を衝いて千本桜に退却集合することを命じた。櫟木《くぬぎ》、山口の両軍曹に命じて火を挙げさせようとしたが、折あしく此夜は、微風も起たない穏かな夜なので、容易に火が挙らない。やっと火の付いたのが、九時四十分頃であった。命令一下各自血路を開いて退却千本桜に集合出来たので、乃木少佐が隊列を検閲すると、肝心の
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