スナイドル銃と云うのを持って居た。兵力兵器に於て差があり、官賊の名分また如何《いかん》ともしがたいのだから、薩軍の不利は最初から明白であったが、しかし当時は西郷の威名と薩摩隼人の驍名《ぎょうめい》に戦《おのの》いていたのであるから、朝野の人心|恟々《きょうきょう》たるものであったであろう。
 熊本城に於ては、司令長官谷干城少将以下兵二千、人夫千七百、決死して城を守る事になり、あらゆる準備を怠らなかった。これから有名な熊本籠城が始まるのである。二月十九日、大山県令から西郷の書を城中に致した。その文に曰く、
[#ここから1字下げ]
拙者儀今般政府へ尋問の廉《かど》有之《これあり》、明後十七日県下|登程《とうてい》、陸軍少将桐野利秋、篠原国幹及び旧兵隊の者随行致候間、其台下通行の節は、兵隊整列指揮を可被受《うけらるべく》、此段|及照会《しょうかいにおよび》候也。
   明治十年二月十五日
[#ここで字下げ終わり]
[#地から1字上げ]陸軍大将 西郷 隆盛
   熊本鎮台司令長官
 陸軍に於ける上官として命令しようと云うのであるから、子供だましのようなものである。
 城内の樺山|資紀《すけのり
前へ 次へ
全24ページ中6ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
菊池 寛 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング