官軍は、月が変って三月三日、行動を起した。野津少将は高瀬の第一、第二両旅団をして予定の行軍を起さしめた。本軍が安楽寺村に達すると、稲佐村附近の丘陵に拠った薩軍は猛烈に砲撃した。薩軍は屡々《しばしば》間道から奇兵を出して襲撃したので、官軍は損傷を受けることが多かったが、官軍もさるもの、間道の迂回線に多くの兵を割いて四方から攻撃したので、この塁も陥り、ついに木葉を占領し、更に境木《さかいぎ》を攻略するに至った。この様な山間の戦闘では、間道から敵の側面背面を、急襲するのが有利である。別軍も伊倉を経て吉次越にさしかかると、待ち構えた薩軍は、峠の麓の立岩に在って砲火を開いた。官軍勇を奮って躍進するが、なかなか頑強であって、之を抜く事が出来なかった。その筈である、丁度此処には、薩の勇将、篠原、村田が、頑張って居たのだから。
この日、両将は木留の本営に居たのであったが、急を聞いて部下三四百を率い、馳せ来って、吉次越の絶頂の凹《へこ》んだ処に木と草とで忽ち速成のバンガローを造って、悠々と尻を落ちつけて、指揮したと云う。最初、篠原が乗り込んで来た時は、官軍の追及急なので、薩兵少しく浮足になって居るのを
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