米位で止り、樹木や岩石に拠って猛射するので、官軍の斃れるものが二百余に及んだ。塁や塹壕に躍り入る際に、木材を鋭く削って居るのに落ちて傷つく者も多かった。が、敵塁を占領したのもしばらくで、忽ち薩の抜刀隊五十名余りが、わめき叫んで逆襲して来た為に、官軍敗れ退いて、かの三塁も奪還された。
 官軍の抜刀隊又之に屈せず逆襲したので、夜明けの山中に、頻々として白兵戦が展開された。官軍の抜刀隊奮戦して、薩兵数十人を斬って走らせたので、再び塁を占領出来た。
 薩軍は猶も之を取りもどそうと、大挙して押し寄せた。
 官軍の抜刀隊は死骸を楯にして敵弾を防ぎ、歩兵の来《きた》るを待ったが、忽ちに三十余名が斃されたので、恨を呑んで引上げた。三度まで占領したが、最後にまた薩軍の手に帰したわけである。官軍にとって結局は失敗であったにしろ、今日まで十数日の間、兵火を浴せて猶陥ちなかったここを、この日の一撃でとにかく一度は占領する事の出来たのは、大成功であった。
 二俣の東南寄りに、横平《よこひら》山という高地がある。この高地は三ノ嶽の脈に当って吉次、半高の諸山に連り、その支脈は更に田原坂、白木に及んで居る。
 十五日の早朝、両旅団の砲兵は、二俣、田原に近く進んで、砲撃を開始した。
 此日は深い霧で、砲煙は霧に溶け込んで、砲声のみが、無気味に響いて居る。官軍が砲撃して居る頃、黙々として、横平山の間道を攀じりつつある三百|許《ばか》りの人数があった。横平山頂の官軍の守塁に近付いた午前四時、不意に抜刀して斬り込んだ。追い落された官軍は、中腹を防ぐけれども、高い処から狙い射ちに撃たれるのだからかなわない。若し、ここを奪われるなら、二俣口の守線も打撃を受け、田原坂攻撃の策戦に、重大な影響を与えるので、応援の兵と共に、必死に戦った。
 薩軍は山腹に下って、林に隠れて射撃をする。官軍は銃に装剣して抜刀隊と共に進み、午後二時になって、やっと山腹の二塁を奪還した。
 然し、絶頂の一塁は猶敵手にある上に、薩軍は兵力を増加した様子である。薩軍の兵火少しく衰うと見ると進み、激しいと見ると伏す。匍匐《はらば》って進むのであるが、木や草が稀なので地物として利用するものが無い。胸壁を築きたくも、砂が無いので、近衛の工兵が、山麓から、土砂を採って袋に入れ弾雨の中を背負って運送し、自壁を急造した。
 此時は、両軍の距離が十米で、陸
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