談しようとするらしい相手の、図々しい態度を見ると、彼はその得手勝手が、叩《たた》き切ってやりたいほど、癪《しゃく》に障《さわ》った。
「俺、よっぽど草津から越後へ出ようと思ったが、よく考えてみると、熊谷《くまがや》在《ざい》に伯父が居るのだ、少しは、熊谷は危険かも知れねえが、故郷へかえる足溜《あしだま》りには持って来いだ。それで俺も武州《ぶしゅう》の方へ出るから、途中まで付き合ってくれねえか」
 九郎助は、返事をする事さえ厭だった。黙ってすたこら[#「すたこら」に傍点]歩いていた。
 弥助は、九郎助が機嫌が悪いのを知ると、傍《そば》へ寄った。
「俺あ、今日の入れ札には、最初《はな》から厭だった。親分も親分だ! 餓鬼の時から一緒に育ったお前を連れて行くと云わねえ法はねえ。浅や喜蔵は、いくら腕節や、才覚があっても、云わば、お前に比べればホンの小僧っ子だ。たとい、入れ札にするにしたところが、野郎達が、お前を入れねえと云うことはありゃしねえ。十一人の中でお前の名をかいたのは、この弥助一人だと思うと、俺あ彼奴《あいつ》等の心根《こころね》が、全くわからねえや」
 黙って聞いた九郎助は、火のようなものが、身体《からだ》の周囲に、閃《ひらめ》いたような気がした。
「この野郎!」そう思いながら、脇差《わきざし》の柄《つか》を、左の手で、グッと握りしめた。もう、一言云って見ろ、抜打ちに斬《き》ってやろうと思った。
 が、九郎助が火のように、怒っていようとは夢にも知らない弥助は、平気な顔をして寄り添って歩いていた。
 柄を握りしめている九郎助の手が、段々|緩《ゆる》んで来た。考えてみると、弥助の嘘を咎《とが》めるのには、自分の恥しさを打ち開けねばならない。
 その上、自分に大嘘を吐《つ》いている弥助でさえ、自分があんな卑しい事をしたのだとは、夢にも思っていなければこそ、こんな白々しい嘘を吐《つ》くのだと思うと、九郎助は自分で自分が情けなくなって来た。口先だけの嘘を平気で云う弥助でさえが考え付かないほど、自分は卑しいのだと思うと、頭の上に輝いている晩春のお天道様が、一時に暗くなるような味気なさを味《あじわ》った。
 山の多い上州の空は、一杯に晴れていた。峰から峰へ渡る幾百羽と云う小鳥の群が、黄《きいろ》い翼をひらめかしながら、九郎助の頭の上を、ほがらかに鳴きながら通っている。行手には榛名《はるな》が、空を劃《くぎ》って蒼々と聳《そび》えていた。



底本:「藤十郎の恋・恩讐の彼方に」新潮文庫、新潮社
   1970(昭和45)年3月25日初版発行
   1990(平成2)年1月15日第34刷
入力:川山隆
校正:noriko saito
2008年7月24日作成
青空文庫作成ファイル:
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