ものが、身体《からだ》の周囲に、閃《ひらめ》いたような気がした。
「この野郎!」そう思いながら、脇差《わきざし》の柄《つか》を、左の手で、グッと握りしめた。もう、一言云って見ろ、抜打ちに斬《き》ってやろうと思った。
 が、九郎助が火のように、怒っていようとは夢にも知らない弥助は、平気な顔をして寄り添って歩いていた。
 柄を握りしめている九郎助の手が、段々|緩《ゆる》んで来た。考えてみると、弥助の嘘を咎《とが》めるのには、自分の恥しさを打ち開けねばならない。
 その上、自分に大嘘を吐《つ》いている弥助でさえ、自分があんな卑しい事をしたのだとは、夢にも思っていなければこそ、こんな白々しい嘘を吐《つ》くのだと思うと、九郎助は自分で自分が情けなくなって来た。口先だけの嘘を平気で云う弥助でさえが考え付かないほど、自分は卑しいのだと思うと、頭の上に輝いている晩春のお天道様が、一時に暗くなるような味気なさを味《あじわ》った。
 山の多い上州の空は、一杯に晴れていた。峰から峰へ渡る幾百羽と云う小鳥の群が、黄《きいろ》い翼をひらめかしながら、九郎助の頭の上を、ほがらかに鳴きながら通っている。行手には榛名
前へ 次へ
全23ページ中22ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
菊池 寛 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング