の名前を指すことは、彼等に対する信頼の差別を、露骨に表わす事になって来る。それで、選に洩《も》れた連中と――内心、忠次を怨《うら》むかも知れない連中と――そのまま、再会の機《おり》も期し難く、別れてしまわねばならぬ事を考えると、忠次はどうしても、気が進まなかった。
 忠次は口を噤《つぐ》んだまま、何とも答えなかった。親分と乾児との間に、不安な沈黙が暫らく続いた。
「ああ、いい事があらあ」釈迦《しゃか》の十蔵と云う未《ま》だ二十二三の男が叫んだ。彼は忠次の盃《さかずき》を貰ってから未だ二年にもなっていなかった。
「籤引《くじびき》がいいや、みんなで籤を引いて、当った者が親分のお供をするのがいいや」
 当座の妙案なので、忠次も乾児達も、十蔵の方を一寸見た。が、嘉助という男が直ぐ反対した。
「何を云ってやがるんだい! 籤引だって! 手前の様な青二才に籤が当ってみろ、反《かえ》って、親分の足手|纒《まと》いじゃねえか。籤引なんか、俺あ真っ平だ。こんな時に一番物を云うのは、腕っ節だ。おい親分! くだらねえ遠慮なんかしねえで、一言、嘉助ついて来いと、云っておくんなせい」
 四斗樽《しとだる》を両手に提げながら、足駄《あしだ》を穿《は》いて歩くと云う嘉助は一行中で第一の大力だった。忠次が心の裡で選んでいる三人の中の一人だった。
「嘉助の野郎、何を大きな事を云ってやがるんだい。腕っ節ばかりで、世間は渡られねえぞ。ましてこれから、知らねえ土地を遍歴《へめぐ》って、上州の国定忠次で御座いと云って歩くには、駈引《かけひき》万端《ばんたん》の軍師がついていねえ事には、どうにもならねえのだ。幾ら手前が、大力だからと云って、ドジ許《ばか》り踏んでいちゃ、旅先で、飯にはならねえぞ」
 そう云ったのは、松井田の喜蔵と云う、分別盛りの四十男だった。忠次も喜蔵の才覚と、分別とは認めていた。彼は、心の裡で喜蔵も三人の中に加えていた。
「親分、俺あお供は出来ねえかねえ。俺あ腕節《うでっぷし》は強くはねえ。又、喜蔵の様に軍師じゃねえ。が、お前さんの為には、一命を捨ててもいいと、心の内で、とっくに覚悟を極《き》めているんだ」
 闇雲《やみくも》の忍松が、其処まで云いかけると、乾児達は、周囲から口々に罵《ののし》った。
「何を云ってやがるんだい、親分の為に命を投げ出している者は、手前一人じゃねえぞ、巫山戯《ふざけ》た事をぬかすねえ」
 そう云われると、忍松は一言もなかった。半白《はんぱく》の頭を、テレ隠しに掻《か》いていた。
 そうしているうちに、半時ばかり経った。日光山らしい方角に出た朝日が、もう余程さし登っていた。忠次は、黙々として、みんなの云う事を聴いていた。二三人連れて行くとしたら、彼は籤引では連れて行きたくなかった。やっぱり、信頼の出来る乾児を自ら選びたかった。彼は不図《ふと》一策を思い付いた。それは、彼が自ら選ぶ事なくして、最も優秀な乾児を選み得《う》る方法だった。
「お前達の様に、そうザワザワ騒いでいちゃ、何時《いつ》が来たって、果てしがありゃしねえ。俺一人を手離すのが不安心だと云うのなら、お前達の間で入《い》れ札《ふだ》をしてみちゃ、どうだい。札数の多い者から、三人だけ連れて行こうじゃねえか。こりゃ一番、怨みっこがなくって、いいだろうぜ」
 忠次の言葉が終るか終らないかに、
「そいつぁ思い付きだ」乾児のうちで一番人望のある喜蔵が賛成した。
「そいつぁ趣向だ」大間々の浅太郎も直ぐ賛成した。
 心の裡で、籤引を望んでいる者も数人あった。が、忠次の、怨みっこの無いように、しかも役に立つ乾児を、選ぼうと云う肚《はら》が解ると、みんなは異議なく入れ札に賛成した。
 喜蔵が矢立《やたて》を持っていた。忠次が懐《ふところ》から、鼻紙の半紙を取り出した。それを喜蔵が受取ると、長脇差を抜いて、手際《てぎわ》よくそれを小さく切り分けた。そうして、一片《ひときれ》ずつみんなに配った。
 先刻《さっき》からの経路を、一番|厭《いや》な心で見ていたのは稲荷《いなり》の九郎助《くろすけ》だった。彼は年輩から云っても、忠次の身内では、第一の兄分でなければならなかった。が、忠次からも、乾児からも、そのようには扱われていなかった。去年、大前田の一家と一寸した出入《でいり》のあった時、彼は喧嘩場から、不覚にも大前田の身内の者に、引っ担《かつ》がれた。それ以来、彼は多年|培《つちか》っていた自分の声望がめっきり[#「めっきり」に傍点]落ちたのを知った。自分から云えば、遙《はる》かに後輩の浅太郎や喜蔵に段々|凌《しの》がれて来た事を、感じていた。そればかりでなく、十年前までは、兄弟同様に賭場《とば》から賭場を、一緒に漂浪して歩いた忠次までが、何時となく、自分を軽《かろ》んじている事を知った。皆は
前へ 次へ
全6ページ中3ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
菊池 寛 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング