も云われた貸元が、乾児の一人も連れずに、顔を出すことは、沽券《こけん》にかかわることだった。手頃の乾児を二三人連れて行くとしたら、一体誰を連れて行こう。そう思うと、彼の心の裡では、直ぐその顔触《かおぶれ》が定《きま》った。平生の忠次だったら、
「おい! 浅に、喜蔵に、嘉助《かすけ》とが、俺と一緒に来るんだ! 外の野郎達は、銘々思い通りに落ちてくれ! 路用《ろよう》の金は、分けてやるからな!」
と、何の拘泥《こだわり》もなく云える筈《はず》だった。が、忠次は赤城に籠って以来、自分に対する乾児達の忠誠をしみじみ感じていた。鰹節《かつおぶし》や生米を噛《かじ》って露命を繋《つな》ぎ、岩窟《いわや》や樹の下で、雨露を凌《しの》いでいた幾日と云う長い間、彼等は一言も不平を滾《こぼ》さなかった。忠次の身体《からだ》が、赤城山中の地蔵山で、危険に瀕《ひん》したとき、みんなは命を捨てて働いてくれた。平生は老ぼれて、物の役には立つまいと思われていた闇雲《やみくも》の忍松《おしまつ》までが、見事な働きをした。
そうした乾児達の健気《けなげ》な働きと、自分に対する心持とを見た忠次は、その中《うち》の二三人を引き止めて他の多くに暇をやることが、どうしても気がすすまなかった。皆一様に、自分のために、一命を捨ててかかっている人々の間に、自分が甲乙を付けることは、どうしても出来なかった。剛愎《ごうふく》な忠次も、打ち続く艱難《かんなん》で、少しは気が弱くなっている故《せい》もあったのだろう。別れるのなら、いっそ皆と同じように、別れようと思った。
彼は、そう決心すると、
「おい! みんな!」と、周囲に散《ちら》かっている乾児達を呼んだ。烈しい叱《しか》り付けるような声だった。喧嘩《けんか》の時などにも、叱※[#「口+它」、第3水準1−14−88]《しった》する忠次の声だけは、狂奔している乾児達の耳にもよく徹した。
草の上に、蹲《うずく》まったり、寝ころんだり、銘々思い思いの休息を取っていた乾児達は、忠次の一|喝《かつ》でみんな起き直った。数日来の烈しい疲労で、とろとろ眠りかけているものさえあった。
「おい! みんな」
忠次は、改めて呼び直した。『壺皿見透《つぼざらみとお》し』と、若い時|綽名《あだな》を付けられていた、忠次の大きい眼がギロリと動いた。
「みんな! 一寸《ちょっと》耳を貸して貰《もら》いてえのだが、俺《おらあ》これから、信州へ一人で、落ちて行こうと思うのだ。お前達《めえたち》を、連れて行きてえのは山々だが、お役人をたたっ斬って、天下のお関所を破った俺達が、お天道様《てんとうさま》の下を、十人二十人つながって歩くことは、許されねえ。もっとも、二三人は、一緒に行って貰いてえとも思うのだが、今日が日まで、同じ辛苦をしたお前達みんなの中から、汝《われ》は行け汝は来るなと云う区別は付けたくねえのだ。連れて行くからなら、一人残らず、みんな一緒に連れて行きてえのだ。別れるからなら、恨みっこのねえように、みんな一様に別れてしまいてえのだ。さあ、ここに使い残りの金が、百五十両ばかりあらあ。みんなに、十二両ずつ、くれてやって、残ったのは俺が貰って行くんだ。銘々に、志を立てて落ちてくれ! 随分、身体《からだ》に気を付けろ! 忠次が、何処かで捕まって、江戸送りにでもなったと聞いたら、線香の一本でも上げてくれ!」
忠次は、元気にそう云うと、胴巻の中から、五十両包みを、三つ取り出して、熊笹《くまざさ》の上に、ずしりと投げ出した。
が、誰もその五十両包みに、手を出すものはなかった。みんなは、忠次の突然な申出に、どう答えていいか迷っているらしかった。一番に、乾児達の沈黙を破ったのは、大間々《おおまま》の浅太郎だった。
「そりゃ、親方悪い了簡《りょうけん》だろうぜ。一体俺達が、妻子|眷族《けんぞく》を見捨てて、此処《ここ》までお前さんに、従《つ》いて来たのは、何の為だと思うのだ。みんな、お前さんの身の上を気遣《きづか》って、お前さんの落着くところを、見届けたいと思う一心からじゃないか。いくら、大戸の御番所を越して、もうこれから信州までは大丈夫だと云ったところで、お前さんばかりを、一人で手放すことは、出来るものじゃねえ。尤《もっと》も、こう物騒な野郎ばかりが、つながって歩けねえのは、道理《ことわり》なのだから、お前さんが、此奴《こいつ》だと思う野郎を、名指しておくんなせえ。何も親分乾児の間で、遠慮することなんかありゃしねえ。お前さんの大事な場合だ! 恨みつらみを云うような、ケチな野郎は一人だってありゃしねえ。なあ兄弟!」
みんなは、異口同音に、浅太郎の云い分に賛意を表した。が、そう云われてみると、忠次は尚更《なおさら》選みかねた。自分の大事な場所であるだけに、彼等
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