も云われた貸元が、乾児の一人も連れずに、顔を出すことは、沽券《こけん》にかかわることだった。手頃の乾児を二三人連れて行くとしたら、一体誰を連れて行こう。そう思うと、彼の心の裡では、直ぐその顔触《かおぶれ》が定《きま》った。平生の忠次だったら、
「おい! 浅に、喜蔵に、嘉助《かすけ》とが、俺と一緒に来るんだ! 外の野郎達は、銘々思い通りに落ちてくれ! 路用《ろよう》の金は、分けてやるからな!」
と、何の拘泥《こだわり》もなく云える筈《はず》だった。が、忠次は赤城に籠って以来、自分に対する乾児達の忠誠をしみじみ感じていた。鰹節《かつおぶし》や生米を噛《かじ》って露命を繋《つな》ぎ、岩窟《いわや》や樹の下で、雨露を凌《しの》いでいた幾日と云う長い間、彼等は一言も不平を滾《こぼ》さなかった。忠次の身体《からだ》が、赤城山中の地蔵山で、危険に瀕《ひん》したとき、みんなは命を捨てて働いてくれた。平生は老ぼれて、物の役には立つまいと思われていた闇雲《やみくも》の忍松《おしまつ》までが、見事な働きをした。
そうした乾児達の健気《けなげ》な働きと、自分に対する心持とを見た忠次は、その中《うち》の二三人を引き止めて他の多くに暇をやることが、どうしても気がすすまなかった。皆一様に、自分のために、一命を捨ててかかっている人々の間に、自分が甲乙を付けることは、どうしても出来なかった。剛愎《ごうふく》な忠次も、打ち続く艱難《かんなん》で、少しは気が弱くなっている故《せい》もあったのだろう。別れるのなら、いっそ皆と同じように、別れようと思った。
彼は、そう決心すると、
「おい! みんな!」と、周囲に散《ちら》かっている乾児達を呼んだ。烈しい叱《しか》り付けるような声だった。喧嘩《けんか》の時などにも、叱※[#「口+它」、第3水準1−14−88]《しった》する忠次の声だけは、狂奔している乾児達の耳にもよく徹した。
草の上に、蹲《うずく》まったり、寝ころんだり、銘々思い思いの休息を取っていた乾児達は、忠次の一|喝《かつ》でみんな起き直った。数日来の烈しい疲労で、とろとろ眠りかけているものさえあった。
「おい! みんな」
忠次は、改めて呼び直した。『壺皿見透《つぼざらみとお》し』と、若い時|綽名《あだな》を付けられていた、忠次の大きい眼がギロリと動いた。
「みんな! 一寸《ちょっと》耳を貸し
前へ
次へ
全12ページ中3ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
菊池 寛 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング