の所に、傷痕《きずあと》のある浅黒い顔が、一月に近い辛苦で、少し窶《やつ》れが見えたため、一層|凄味《すごみ》を見せていた。乾児も、大抵同じような風体《ふうてい》をしていた。が、忠次の外は、誰も菅笠を冠ってはいなかった。中には、片袖《かたそで》の半分|断《ちぎ》れかけている者や、脚絆の一方ない者や、白っぽい縞の着物に、所々血を滲《にじ》ませているものなども居た。
 街道を避けながら、しかも街道を見失わないように、彼等は山から山へと辿《たど》った。大戸の関から、二里ばかりも来たと思う頃、雑木の茂った小高い山の中腹に出ていた。ふと振り顧《かえ》ると、今まで見えなかった赤城が、山と山の間に、ほのかに浮び出ていた。
「赤城山も見収めだな。おい、此処《ここ》いらで一服しようか」
 そう云いながら、忠次は足下に大きい切り株を見付けて、どっかりと、腰を降した。彼の眼は、暫《しば》らくの間、四十年見なれた懐《なつか》しい山の姿に囚《とら》われていた。赤城山が利根川の谿谷《けいこく》へと、緩《ゆる》い勾配《こうばい》を作っている一帯の高原には、彼の故郷の国定村も、彼が売出しの当時、島村伊三郎を斬った境の町も、彼が一月前に代官を斬った岩鼻の町もあった。
 国越《くにごえ》をしようとする忠次の心には、さすがに淡い哀愁が、感ぜられていた。が、それよりも、現在一番彼の心を苦しめていることは、乾児の始末だった。赤城へ籠った当座は、五十人に近かった乾児が、日数が経《た》つに連れ、二人三人|潜《ひそ》かに、山を降《くだ》って逃げた。捕方の総攻めを喰《く》ったときは、二十七人しか残っていなかった。それが、五六人は召捕られ、七八人は何処ともなく落ち延びて、今残っている十一人は、忠次のためには、水火をも辞さない金鉄の人々だった。国を売って、知らぬ他国へ走る以上、この先、あまりいい芽も出そうでない忠次のために、一緒に関所を破って、命を投げ出してくれた人々だった。が、代官を斬った上に、関所を破った忠次として、十人余の乾児を連れて、他国を横行することは出来なかった。人目に触れない裡に、乾児の始末を付けてしまいたかった。が、みんなと別れて、一人ぎりになってしまうことも、いろいろな点で不便だった。自分の目算通《もくさんどおり》に、信州|追分《おいわけ》の今井小藤太の家に、ころがり込むにしたところが、国定村の忠次と
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