釈をしながら、頂上の方へぐんぐんと上りかけた。
「親分、御機嫌《ごきげん》よう。御機嫌よう」
 去って行く忠次の後から、乾児達は口々に呼びかけた。
 忠次は、振り向きながら、時々、被《かぶ》っている菅笠《すげがさ》を取って振った。その長身の身体は、山の中腹を掩《おお》うている小松林の中に、暫《しばら》くの間は見え隠れしていた。
 取り残された乾児達の顔には、それぞれ失望の影があった。
「浅達が付いていりゃ、大した間違はありゃしねい!」
 口々に同じようなことを云った。が、やっぱり、銘々自分が入れ札に洩《も》れた淋《さび》しさを持っていた。
 が、忠次達の姿が見えなくなると、四五人は諦《あきら》めたように、草津の方へ落ちて行った。
 九郎助は、忠次と別れるとき、目礼したままじっと考えていた。落選した失望よりも、自分の浅ましさが、ヒシヒシ骨身に徹《こた》えた。札が、二三人に蒐《あつ》まっているところを見ると、みんな親分の為を計って、浅や喜蔵に入れたのだ。親分の心を汲《く》んで、浅や喜蔵を選んだのだ。そう思うと、自分の名をかいた卑しさが、愈々《いよいよ》堪《た》えられなかった。
 朝の微風が吹いて来て、入れ札の紙が、熊笹《くまざさ》を離れて、ひらひらと飛びそうになった。
「ああ、こんなものが残っていると、とんだ手がかりにならねえとも限らねえ」
 そう云いながら、九郎助は立ち上って散《ちら》ばっている紙片を取り蒐めると、めちゃめちゃに引き断《ちぎ》って投げ捨てた。九郎助の顔は、凄《すご》いほどに蒼《あお》かった。
「俺《おらあ》、秩父《ちちぶ》の方へ落ちようかな」
 九郎助は独言《ひとりごと》のように云った。彼は仲間の誰とも顔を合しているのが厭だった。秩父に遠縁の者が居るのを幸に、其処《そこ》で百姓にでもなってしまいたかった。
 彼は、草津へ行った連中とは、反対に榛名《はるな》の西南の麓《ふもと》を目ざして、ぐんぐん山を降りかけた。
 彼が、二三町も来たときだった。後から声をかけるものがあった。
「おい阿兄《あにい》! 稲荷《いなり》の阿兄!」
 彼は、立ち止って振り顧《かえ》った。見ると、弥助が、息を切らしながら、追いかけて来たのであった。彼は弥助の顔を見たときに、烈《はげ》しい憎悪《ぞうお》が、胸の裡に湧《わ》いた。大切な場合に自分を裏切っていながらまだ身の振方をでも相
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