藤十郎の恋
菊池寛
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《》:ルビ
(例)天鵞絨《やろう》羽織に
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(例)女|旱《ひで》りが
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人物
坂田藤十郎 都万太夫座の座元、三が津総芸頭と賛えられたる名人
霧浪千寿 立女形、美貌の若き俳優
中村四郎五郎 同じ座の立役
嵐三十郎 同上
沢村長十郎 同上
袖崎源次 同じ座の若女形
霧浪あふよ 同上
坂田市弥 同上
小野川宇源次 同じ座のわかしゅ形
藤田小平次 同上
仙台弥五七 同じ座の道化方
服部二郎右衛門 同じ座の悪人形
金子吉左衛門 同じ座の狂言つくり
万太夫座の若太夫 万太夫座の持主
楽屋頭取
楽屋番 二、三人
その他大勢の若衆形、色子など
宗清の女中大勢
宗清の女房お梶 四十に近き美しき女房
その他重要ならざる二、三の人物
時
元禄十年頃
所
京師四条河原中島
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第一場
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――四条中島都万太夫座の座付茶屋宗清の大広間。二月の末のある晩。都万太夫座の役者たちによって、弥生狂言の顔つなぎの饗宴が開かれている。百目蝋燭の燃えている銀の燭台が、幾本となく立て並べられている。舞台の上手に床の間を後に、どんすの鏡蒲団の上に悠然と座っているのは、坂田藤十郎である。髪を茶筌に結った色白の美男である。下には、鼡縮緬の引かえしを着、上には黒羽二重の両面芥子人形の加賀紋の羽織を打ちかけ、宗伝唇茶の畳帯をしめている。藤十郎の右には、一座の立女形たる霧浪千寿が座っている。白小袖の上に紫縮緬の二つ重ねを着、天鵞絨《やろう》羽織に紫の野良帽子をいただいた風情は、さながら女のごとく艶《なまめ》かしい。二人の左右に、中村四郎五郎、嵐三十郎、沢村長十郎、袖崎源次、霧浪あふよ、坂田市弥、小野川宇源次、藤田小平次、仙台弥五七、服部二郎右衛門、金子吉左衛門などが居ならんでいる。席末には若衆形や色子などの美少年が侍している。万太夫座の若太夫は、杯盤の闇を取り持っている。
幕が開くと、若衆形の美少年が鼓を打ちながら、五人声を揃えて、左の小唄を隆達節で歌う。
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唄「人と契るなら、薄く契りて末遂げよ。もみじ葉を見よ。薄きが散るか、濃きが散るか、濃きが先ず散るものでそろ」
(歌い終ると、役者たち拍手をして慰《ねぎら》う。下手の障子をあけ、宗清の女中赤紙の付いた文箱を持って出る)
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女中 藤十郎様にお文がまいりました。
若太夫 (中途で受取りながら)火急の用と見える。(藤十郎に渡す)
藤十郎 (受取りて)おおいかにも、火急の用事と見えまする。ちょっと披見いたしまする。皆の衆御免なされませ。なになに漣子《れんし》どの、巣林《そうりん》より、さて近松様からの書状じゃ。(口の中に黙読する、最後に至りて声を上げる)こんどの狂言われも心に懸り候ままかくは急飛脚をもって一筆呈上仕り候。少長どのに仕負けられては、独り御身様の不覚のみにてはこれなく、歌舞伎の濫觴《らんしょう》たる京歌舞伎の名折れにもなること、ゆめゆめご油断なきよう御工夫専一に願い上げ候。(しばらく考えてまた読み返す)京歌舞伎の名折れにもなること、うむ! なんの仕負けてよいものか。ははは……が、近松様も、この藤十郎を思わるればこそ、いかい御心労じゃ。
千寿 (言葉も女の如く)さようでござりますとも、こんどの狂言には、さすがの近松様も、三日三晩、肝胆を砕かれたとのことじゃ。ほんに、仇やおろそかには思われぬわいのう。
弥五七 (道化方らしく誇張した身振りで)さればこそ前代未聞の密夫《みそかお》の狂言じゃ。傾城買《けいせいかい》にかけては日本無類の藤十郎様を、今度はかっきりと気を更えて、密夫にしようとする工夫じゃ。傾城買の恋が春の夜の恋なら、これはきつい暑さの真夏の恋じゃ。身を焦がすほど激しい恋じゃ。
四郎五郎 夏の日の恋というよりも、恐ろしい冬の恋じゃ。命をなげての恋じゃ。
三十郎 命がけの恋じゃとも。まかり違えば、粟田口で磔《はりつけ》にかからねばならぬ恐ろしい命がけの恋じゃ。
源次 昨日も宮川町を通っていると、われらの前を、香具売《こうぐうり》らしい商人が二人、声高に話して行く。傾城買の四十八手は、何一つ心得ぬことのない藤十郎様が、密夫の所作を、どなに仕活《しいか》すか、さぞ見物衆をあっといわせることだろうと、夢中になっての高話じゃ。
長十郎 藤十郎の紙衣姿《かみこすがた》も、毎年見ると、少しは堪能し過ぎると、悪口をいいくさった公卿衆《くげしゅ》だちも、今度の新しい狂言にはさぞ駭《おどろ》くことでござりましょう。
二郎右衛門 それにしても、春以来大入り続きの半左衛門座の中村七三郎どのに、今度の狂言で一泡吹かせることができると思うと、それが何よりもの楽しみじゃ。半左衛門座に引付けられた見物衆の大波が、万太夫座の方へ寄せ返すかと思うと、それが何よりの楽しみじゃ。
四郎五郎 そうは申すものの、新しい狂言だけに、藤十郎様の苦心も、並大抵ではあるまい。昔から、衆道のいきさつ、傾城買、濡事《ぬれごと》、道化と歌舞伎狂言の趣向は、たいていきまっていたものを、底から覆すような門左衛門様の趣向じゃ。それに京で名高い大経師《だいきょうじ》のいきさつを、そのまま取入れた趣向じゃもの、この狂言が当らないで何としようぞのう。
若太夫 (得意になりながら)四郎五郎様のいわれる通りじゃ。(藤十郎の前に、いざり寄りながら)前祝いに、もう一つ受けて下されませ。傾城買の所作は、日本無類の御身様じゃが、道ならぬ恋のいきかたは、また格別の御趣向がござりましょうな。ははは。
藤十郎 (役者たちの談話を聴いている頃から、だんだん不愉快な表情を示し始めている。若太夫の差した杯を、だまったまま受けて飲み乾す)
千寿 (藤十郎の不機嫌に気が付いて、やや取りなすように)ほんに、若太夫のいう通り、藤十郎様にはその辺の御思案が、もうちゃんと付いているはずじゃ。われらなどただ藤十郎様を頼りにして、傀儡《くぐつ》のように動いていけばよいのじゃ。
若太夫 (千寿の取りなしに力を得たように)今度の狂言に比べますと、大当りだという傾城《けいせい》浅間ヶ嶽の狂言などは、浅はかな性もない趣向でござりまする。密夫の狂言とはさすがは門左衛門様でござりまする。それに付けましても、坂田様にはこうした変った恋の覚えもござりましょうな。はははは……。
藤十郎 (先刻から、ますます不愉快な悩ましげな表情をしている。若太夫の最後の言葉に傷つけられたようにむっとして)さようなこと、なんのあってよいものか。藤十郎は、生れながらの色好みじゃが、まだ人の女房と懇《ねんご》ろした覚えはござらぬわ。
若太夫 (座興のつもりでいったことを真っ向から、突き放され、興ざめ黙ってしまう)
千寿 (再び取りなすように)ほんに、坂田様のいわれる通りじゃ、この千寿とても、主ある女房と懇ろしたことはないわいな。
他の役者たち (皆一斉に笑う)……。
弥五七 それは誰とても同じことじゃ。女|旱《ひで》りがすれば格別、主ある女房にいい寄って、危い思いをするよりも宮川町の唄女《うたいめ》、室町あたりの若後家、祇園あたりの花車《かしゃ》、四条五条の町娘、役者の相手になる上臈《じょうろう》たちは、星の数ほどあるわ。ははは。
源次 だがのう。一|盗《とう》二|妾《しょう》三|婢《ひ》四|妻《さい》というて、盗み食いする味は、また別じゃというほどに、人の女房とても捨てたものではない。
長十郎 さては、そなたには覚えがあるとみえる。
源次 何の覚えがあってよいものか。だがのう、磔が恐ければ、世に密夫の沙汰は絶えようものを、絶えぬ証拠は、今度の狂言に出るおさん茂右衛門じゃ。色事の道はまた別じゃ。はははは。
若太夫 (自分の悄気《しょげ》たことを、隠そうとして)座が淋しい。さあ……若衆たち、連舞《つれまい》なと舞わしゃんせ。
三四人の若衆 あいのう。(立って舞い始める)
藤十郎 (黙々として、ひそかに狂言の工夫をめぐらすごとき有様なりしが、一座の注意が連舞にひかれたる間に、ひそかに座を立つ。正面の障子をあけて、静かに廊下に出ず)
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(若衆たちは、舞いつづけている。鼓の音が、激しく賑かになる。役者たちも、浮かれ気味になる)
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弥五七 (おかしき様子にて立ち上りながら)わしも連舞の群に入ろうぞ。
四郎五郎 美しき若衆たちと、禿げた弥五七どの。これは一段と面白い取合わせじゃ。鼓はわしが打とうぞ。
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(若衆たちと一緒に、弥五七道化たる身振りにて舞う。皆笑いさざめくうちに、舞台回る)
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第二場
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宗清の離座敷。左に鴨の河原の一部が見える。右に母屋の方へ続く長い廊下がある。絹行燈の光が美しい調度を艶《なまめ》かしく照らしている。
幕が開くと、藤十郎は右の廊下を、腕組みをしながら歩いて来る。時々、立止まって考える。廊下の柱にもたれて考える。またまた、二、三歩、歩みながら、簡単な所作の形を付けてみたりする。ようやく座敷に来る。障子を開けて、人はおらぬかと確かめた後静かにはいる。懐中から書抜きを取出す。
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藤十郎 (書抜きを読みながら形を付けてみる)かくなり果つるからは、たとい水火の苦しみも……。(工夫付かざるごとく、書抜きを投げ出して考え始める。立って女の手を取るごとき形をしてみる。また書抜きを開いてじっと見詰める)死出三|途《ず》の道なりとも、御身とならば厭わばこそ……(また絶望したるごとく、書抜きを投げ捨てて頭を抱えて沈思する。気を更えて立ち上り、無言にて動いてみる。工夫ついに付かざるごとく、後へ手を突いて座りながら、低い嘆息の言葉をもらす。とうとう工夫を一時中止したるごとく、床の間に置いてあった脇息を手を延ばして取り、それに右の肱をもたせながら、身を横にする)
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(しばらく何事もない。母屋の大広間で打っている鼓の音や、太鼓の音などが、微かに聞えてくる。藤十郎は、静かに目を閉じる。ふと廊下に人の足音が聞える。藤十郎は、ちょっと目を開き、また書抜きを顔に当て、寝た振りをしてしまう。廊下に現れたのは、宗清の女房お梶である。足早に近づくと、何の会釈もなく障子を開ける。藤十郎の姿を見て駭《おどろ》く。)
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お梶 あれ、藤様《とうさま》でござりましたか。いかい粗相をいたしました。御免下さりませ。(すぐ去ろうとする。ふと、気が付いたるごとく)ほんとに女子供の気の付かぬ。このように冷える所で、そうしてござっては、御風邪など召すとわるい、どれ、私が夜の具《もの》をかけて進ぜましょう。(部屋の片隅の押入れから夜具を出そうとする)
藤十郎 (宗清の女房であると知ると、起き直って居ずまいを正しながら)おおこれは、御内儀でありましたか。いかい御造作じゃのう。
お梶 何の造作でござりましょう。さあ横になってお休みなさりませ。
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(藤十郎はふと、お梶の顔を見る。色のくっきりと白い細面に、眉の跡が美しい。最初は恍然としていた藤十郎の瞳が、だんだん険しく険しくなってくる。お梶は、藤十郎の不思議な緊張に、少しも気付かぬように、羽二重の夜具を藤十郎の背後からふうわりと着せる)
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