)のうお梶どの。そなたは、藤十郎の嘘偽りのない本心を、聴かれて、藤十郎の恋を、あわれと思わぬか。二十年来、忍びに忍んで来た恋を、あわれとは思《おぼ》さぬか。さりとは、強いお人じゃのう。
お梶 (すすり泣くのみにて答えず)……。
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(二人ともおし黙ったままで、しばらくは時刻が移る。灯を慕って来た千鳥の、銀の鋏を使うような声が、手に取るように聞えて来る)
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藤十郎 (自嘲するがごとく、淋しく笑って)これは、いかい粗相を申しました。が、この藤十郎の切ない恋を情《つれ》なくなさるとは、さても気強いお人じゃのう。舞台の上の色事では、日本無双の藤十郎も、そなたにかかっては、たわいものう振られ申したわ。ははははははは。
お梶 (ふと顔を上げる。必死な顔色になる。低い消え入るような声で)それでは藤様、今おっしゃったことは皆本心かいな。
藤十郎 (さすがに必死な蒼白な面をしながら)なんの、てんごうをいうてなるものか。人妻に言寄るからは命を投げ出しての恋じゃ。(浮腰になっている。彼の膝が、微かに震える)
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(必死の覚悟を定めたらしいお梶は、火のような瞳で、男の顔を一目見ると、いきなりそばの絹行灯の灯を、フッと吹き消してしまう。闇のうちに恐ろしい躊躇と沈黙が、二人の間にある。お梶は身体を、わなわな震わせながら、男の近づくのを待っている。藤十郎の目が上ずってしまって、足がかすかに震える。ようやく立ち上るとお梶の方へ歩みよる。お梶必死になるが、藤十郎は、そのそばをするりと通りぬけて、手探りに廊下へ出る)
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お梶 (男の去らんとするに、気が付いて)藤様《とうさま》! 藤様!(と低く呼びながら、追い縋《すが》ろうとする)
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(藤十郎、お梶の追うのに気付いて、背後の障子を閉める。お梶障子に縋り付いたまま身を悶えつつ泣き崩れる。藤十郎やや狼狽しながら、獣のごとく早足に逃げ去る。お梶の泣く声に交じるように千鳥の声が聞える)
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第三場
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第二場より七日ばかり過ぎたる一日。都万太夫座の楽屋。上手に役者たちの部屋部屋の入口が見える。その
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