声は、地獄の亡者《もうじゃ》の笑い声のようにしわがれた空《から》っぽな、気味の悪い声であった。
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弥生《やよい》朔日《ついたち》から、万太夫座では愈々《いよいよ》近松門左が書き下しの狂言の蓋《ふた》が開かれた。藤十郎の茂右衛門と切波千寿のおさんとの密夫《みそかお》の狂言は、恐ろしきまで真に迫って、洛中《らくちゅう》洛外の評判かまびすしく、正月から打ち続けて勝ち誇っていた山下座の中村七三郎の評判も、月の前の螢火《ほたるび》のように、見る影もなく消されてしまった。
が、この興行の評判に連れて、京童《きょうわらべ》の口にこうした※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]話《そうわ》が伝えられた。それは、『藤十郎殿は、この度の狂言の工夫には、ある茶屋の女房に偽って恋をしかけ、女が靡《なび》いて灯を吹き消す時、急いで逃《のが》れたとの事じゃが、さすがは三国一の名人の心掛だけある』と云う噂《うわさ》であった。
『偽にもせよ、藤十郎殿から恋をしかけられた女房も、三国一の果報者じゃ』と、艶《なま》めいた京の女達は、こう云い添えた。
こうした噂までが、愈《いや》が上に、この狂言の人気を唆《そそ》った。
来る日も、来る日も、潮《うしお》のような見物が明け方から万太夫座の周囲に渦を巻いていた。
弥生の半ばであったろう。或朝、万太夫座の道具方が、楽屋の片隅《かたすみ》の梁《はり》に、縊《くび》れて死んだ中年の女を見出《みいだ》した。それは、紛れもなく宗清《むねせい》の女房お梶であった。お梶は、宗清とは屋続きの万太夫座に忍び入って、其処を最期の死場所と定めたのである。その死因に就《つい》ても、京童は色々に、口性《くちさが》ない噂を立てた。が誰人《たれ》も藤十郎の偽りの恋の相手が、貞淑の聞え高いお梶だとは思いも及ばなかった。
ただ、お梶の死を聴いた藤十郎は、雷に打たれたように色を易《か》えた。が彼は心の中《うち》で、
『藤十郎の芸の為には、一人や二人の女の命は』と、幾度も力強く繰り返した。が、そう繰り返してみたものの、彼の心に出来た目に見えぬ深手は、折にふれ、時にふれ彼を苛《さいな》まずにはいなかった。
お梶が、楽屋で縊れた事までが、万太夫座の人気を培《つちか》った。
お梶が、死んで以来、藤十郎の茂右衛門の芸は、愈々|冴《さ》えて行った。彼の瞳《ひとみ》は、人妻を奪う罪深い男の苦悩を、ありありと刻んでいた。彼がおさんと暗闇で手を引き合う時、密夫の恐怖と不安と、罪の怖《おそろ》しさとが、身体一杯に溢《あふ》れていた。
其処には、藤十郎が茂右衛門か、茂右衛門が藤十郎か、何の差別もないようであった。恐らく藤十郎自身、人の女房に云い寄る恐ろしさを、肝に銘じていた為であろう。
底本:「藤十郎の恋・恩讐の彼方に」新潮文庫、新潮社
1970(昭和45)年3月25日初版発行
1990(平成2)年1月15日第34刷
初出:「大阪毎日新聞」
1919(大正8)年4月
入力:川山隆
校正:noriko saito
2008年8月28日作成
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