大切なところで、若輩の七三郎に一足取残されようとしたのである。七三郎の巴之丞が、洛中《らくちゅう》洛外の人気を唆《そそ》って、弥生狂言をも、同じ芸題《だしもの》で打ち続けると云う噂を聞きながら、藤十郎は烈しい焦躁《しょうそう》と不安の胸を抑えて、じっと思案の手を拱《こま》ぬいたのである。その時に、ふと彼の心に浮んだのは、浪華《なにわ》に住んでいる近松門左衛門の事であった。
四
それは、二月のある宵であった。四条|中東《ちゅうとう》の京の端、鴨川《かもがわ》の流近く瀬鳴《せなり》の音が、手に取って聞えるような茶屋|宗清《むねせい》の大広間で、万太夫座の弥生狂言の顔つなぎの宴が開かれていた。
広間の中央、床柱を背にして、銀燭《ぎんしょく》の光を真向に浴びながら、どんすの鏡蒲団《かがみぶとん》の上に、悠《ゆ》ったりと坐り、心持|脇息《きょうそく》に身を靠《もた》せているのは、坂田藤十郎であった。茶せん[#「せん」に傍点]に結った色白の面は、四十を越した男とは、思われぬ程の美しさに輝いて見えた。下には鼠縮緬《ねずみちりめん》の引《ひっ》かえしを着、上には黒|羽二重《はぶ
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