うと云う気を起さなかったのである。
 こうした藤十郎の心に、怖《おそ》ろしい警鐘は到頭伝えられたのだ。「また何時もながら伊左衛門か、藤十郎どのの紙衣姿は、もう幾度見たか、数えきれぬ程じゃ」と、云う巷《ちまた》の評判は、藤十郎に取っては致命的な言葉であった。彼が、怖れたのは七三郎と云う敵ではなかった。彼の大敵は、彼自身の芸が行き詰まっていることである。今までは、比較される物のない為に、彼の芸が行き詰まっている事が、無智な見物には分らなかったのである。彼は、七三郎の巴之丞を見た時に、傾城買の世界とは、丸きり違った新しい世界が、舞台の上に、浮き出されている事を感じない訳には、行かなかった。ただ浮ついた根も葉もないような傾城買の狂言とは違うて、一歩深く人の心の裡に踏み入った世界が、舞台の上に展開されて来るのを認めない訳には行かなかった。見物は、傾城買の狂言から、たわいもなく七三郎の舞台へ、惹《ひ》き付けられて行った。が、藤十郎は、見物のたわいもない妄動《もうどう》の裡に、深い尤《もっと》もな理由のあるのを、看取しない訳には行かなかったのである。
 小手先の芸の問題ではなかった。彼は、もっと深い
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