よりも、もっと深いもっと本質的なある物であった。
 彼は、二十の年から四十幾つと云う今まで、何の不安もなしに、濡事師《ぬれごとし》に扮《ふん》して来た。そして、藤十郎の傾城買《けいせいかい》と云えば、竜骨車《りゅうこしゃ》にたよる里の童にさえも、聞えている。また京の三座見物達も藤十郎の傾城買の狂言と言えば、何時もながら惜し気もない喝采《かっさい》を送っていた。彼が、伊左衛門の紙衣姿《かみこすがた》になりさえすれば、見物はたわいもなく喝采した。少しでも客足が薄くなると、彼は定まって、伊左衛門に扮した。しかも、彼の伊左衛門役は、トラムプの切札か何かのように、多くの見物と喝采とを、藤十郎に保証するのであった。
 が、彼は心の裡《うち》で、何時《いつ》となしに、自分の芸に対する不安を感じていた。いつも、同じような役に扮して、舌たるい傾城を相手の台詞《せりふ》を云うことが、彼の心の中に、ぼんやりとした不快を起すことが度《たび》重なるようになっていた。が、彼は未《ま》だいいだろう、未だいいだろうと思いながら一日延ばしのように、自分の仕馴《しな》れた喝采を獲《う》るに極《きま》った狂言から、脱け出そ
前へ 次へ
全33ページ中8ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
菊池 寛 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング