つ》した。彼は、団十郎が一流編み出したと云う荒事を見て、何と云う粗野な興ざめた芸だろうと思って、彼の腹心の弟子の山下京右衛門が、
「太夫《たゆう》様、団十郎の芸をいかが思召《おぼしめ》さる、江戸自慢の荒事とやらをどう思召さる」と訊《き》いた時、彼は慎《つつ》ましやかな苦笑を洩《もら》しながら「実事《じつごと》の奥義の解せぬ人達のする事じゃ。また実事の面白さの解せぬ人達の見る芝居じゃ」と、一言の下に貶《けな》し去った。が今度の七三郎に対しては、才牛をあしろうたようには行かなかった。

        三

 と、云って藤十郎は、妄《むげ》に七三郎を恐れているのではない。もとより、団十郎の幼稚な児騙《ちごだま》しにも似た荒事とは違うて、人間の真実な動作《しうち》をさながらに、模《うつ》している七三郎の芸を十分に尊敬もすれば、恐れもした。が、藤十郎は芸能と云う点からだけでは、自分が七三郎に微塵《みじん》も劣らないばかりでなく、寧《むし》ろ右際勝《みぎわまさ》りであることを十分に信じた。従って、今まで足り満ちていた藤十郎の心に不安な空虚と不快な動揺とを植え付けたのは、七三郎との対抗などと云う事
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