傾城浅間ヶ嶽』を打ち通すそうじゃが、かような例は、玉村千之丞|河内《かわち》通いの狂言に、百五十日打ち続けて以来、絶えて聞かぬ事じゃ。七三郎どのの人気は、前代|未聞《みもん》じゃ」と、巷《ちまた》の風説《うわさ》は、ただこの沙汰《さた》ばかりのようであった。
 こうした噂《うわさ》が、かまびすしくなるにつれ、私《ひそか》に腕を拱《こまね》いて考え始めたのは、坂田藤十郎であった。
 三ヶ津総芸頭と云う美称を、長い間享受して来た藤十郎は、自分の芸に就《つい》ては、何等の不安もないと共に、十分な自信を持っていた。過ぐる未年《ひつじどし》に才牛《さいぎゅう》市川団十郎が、日本随市川のかまびすしい名声を担《にの》うて、東《あずま》からはるばると、都の早雲長吉座《はやぐもちょうきちざ》に上って来た時も、藤十郎の自信はビクともしなかった。『お江戸団十郎見しゃいな』と、江戸の人々が誇るこの珍客を見る為めに、都の人々が雪崩《なだれ》を為《な》して、長吉座に押し寄せて行った時も、藤十郎は少しも騒がなかった。殊《こと》に、彼が初めて団十郎の舞台を見た時に、彼は心の中で窃《ひそか》に江戸の歌舞伎を軽蔑《けいべ
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