しく狂わせていたのは、四条中島|都万太夫座《みやこまんだゆうざ》の坂田藤十郎と山下半左衛門座の中村七三郎との、去年から持越しの競争であった。
三ヶ津の総芸頭《そうげいがしら》とまで、讃《たた》えられた坂田藤十郎は傾城買《けいせいかい》の上手《じょうず》として、やつし[#「やつし」に傍点]の名人としては天下無敵の名を擅《ほしいまま》にしていた。が、去年霜月、半左衛門の顔見世《かおみせ》狂言に、東から上った少長《しょうちょう》中村七三郎は、江戸歌舞伎の統領として、藤十郎と同じくやつし[#「やつし」に傍点]の名人であった。二人は同じやつし[#「やつし」に傍点]の名人として、江戸と京との歌舞伎の為にも、烈しく相争わねばならぬ宿縁を、持っているのであった。
京の歌舞伎の役者達は、中村七三郎の都上りを聴いて、皆異常な緊張を示した。が、その人達の期待や恐怖を裏切って七三郎の顔見世狂言は、意外な不評であった。見物は口々に、
「江戸の名人じゃ、と云う程に、何ぞ珍らしい芸でもするのかと思っていたに、都の藤十郎には及び付かぬ腕じゃ」と罵《ののし》った。七三郎を譏《そ》しる者は、ただ素人《しろうと》の見物
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