だけではなかった。彼の舞台を見た役者達までも、
「江戸の少長は、評判倒れの御仁じゃ、尤《もっと》も江戸と京とでは評判の目安も違うほどに江戸の名人は、京の上手にも及ばぬものじゃ。所詮《しょせん》物真似《ものまね》狂言は都のものと極わまった」と、勝誇るように云い振れた。が、七三郎を譏しる噂《うわさ》が、藤十郎の耳に入ると、彼は眉《まゆ》を顰《ひそ》めながら、
「われらの見るところは、また別じゃ。少長どのは、まことに至芸のお人じゃ。われらには、怖《おそ》ろしい大敵じゃ」と、只一人世評を斥《しりぞ》けたのであった。

        二

 果して藤十郎の評価は、狂っていなかった。顔見世狂言にひどい不評を招いた中村七三郎は、年が改まると初春の狂言に、『傾城《けいせい》浅間《あさま》ヶ|嶽《だけ》』を出して、巴之丞《とものじょう》の役に扮《ふん》した。七三郎の巴之丞の評判は、すさまじいばかりであった。
 藤十郎は、得意の夕霧《ゆうぎり》伊左衛門を出して、これに対抗した。二人の名優が、舞台の上の競争は、都の人々の心を湧《わ》き立たせるに十分であった。が新しき物を追うのは、人心の常である。口性《くち
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