まる。肝腎要《かんじんかなめ》の茂右衛門の行き方が、定《きま》らいでは相手のおさんも、その他の人々もどう動いてよいか、思案の仕様もないことになる。己《おの》が工夫が拙《まず》うては、近松門左が心を砕いた前代未聞の狂言も、あたら京童の笑い草にならぬとも限らない。こう思いながら、藤十郎は胸の中に渦巻いている、もどかしさを抑えながら、一途《いちず》に心をその方へ振り向けようとあせった。
 その時である。母屋の方から、とんとんと離座敷を指して来る人の足音が、聞えて来た。

        七

 折角、さわがしい酒席を逃《のが》れて、求め得た静かな場所で、芸の苦心を凝らそうと思っていた藤十郎は、自分の方へ近づいて来る人の足音を聞いて、心持|眉《まゆ》を顰《しか》めぬ訳には行かなかった。
 が、近づいて来る足音の主は、此処《ここ》に藤十郎が居ようなどとは、夢にも気付かないらしく、足早に長い廊下を通り抜けて、この部屋に近づくままに、女性らしい衣《きぬ》ずれの音をさせたかと思うと、会釈もなく部屋の障子を押し開いた。が、其処《そこ》に横たわっていた藤十郎の姿を見ると、吃驚《びっくり》して敷居際《しきい
前へ 次へ
全33ページ中19ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
菊池 寛 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング