談相手を持っていなかった。彼の茂右衛門に、おさんを勤める切波千寿は、天性の美貌《びぼう》一つが、彼の舞台の凡《すべ》てであった。ただ、藤十郎の指図のままに、傀儡のごとく動くのが、彼の演伎《えんぎ》の凡てであったのだ。
 藤十郎は、自分自身の肝脳《あたま》を搾《しぼ》るより外には、工夫の仕方もなかったのである。
 藤十郎の不機嫌の背後に、そうした根本的な屈託が、潜んでいるとは気のつかない一座の人々は、白け始めようとする酒宴の座を、どうかして引き立たせようと、思ったのだろう、五十に手の届きそうな道化方の老優は、傍《そば》に坐っていた二十を出たばかりの、野良帽子《やろう》を着た美しい若衆方を促し立てながら、おどけた連舞《つれまい》を舞い始めた。
 藤十郎は、二人の舞を振向きもしないで、日頃には似ず、大杯を重ねて四度ばかり、したたかに飲み乾すと、俄《にわか》に発して来た酔に、座には得《え》堪《た》えられぬように、つと席を立ちながら、河原に臨んだ広い縁に出た。
 河原の闇《やみ》の底を流れる川水が、ほのかな光を放っている外は、晦日《みそか》に近い夜の空は曇って、星一つさえ見えなかった。声ばかり飛
前へ 次へ
全33ページ中17ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
菊池 寛 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング