物堅い御仁じゃ』と、云われて、芝居国の長者として、周囲から、尊敬されているのも、一つにはこうした訳からでもあった。
従って、彼は、過去の経験から、人妻を盗むような必死な、空恐ろしい、それと同時に身を焼くように烈《はげ》しい恋に近い場合を、色々と尋ねてみたが、彼のどの恋もどの恋も極めて正当な、物柔かな恋であって、冬の海のように恐ろしい恋や、夏の太陽のような烈しい恋の場合は、どう考えても頭に浮んでは来なかった。
六
傾城買《けいせいかい》の経緯《いきさつ》なれば、どんなに微妙にでも、演じ得ると云う自信を持った藤十郎も、人妻との呪《のろ》われた悪魔的な、道ならぬ然《しか》し懸命な必死の恋を、舞台の上にどう演活《しいか》してよいかは、ほとほと思案の及ばぬところであった。これまでの歌舞伎狂言と云えば、傾城買のたわいもない戯れか、でなければ物真似《ものまね》の道化に尽きていた為に、こうした密夫《みそかお》の狂言などに、頼《たのま》れるような前代の名優の仕残した型などは、微塵《みじん》も残っていなかった。それかと云って、彼はこうした場合に、打ち明けて智慧《ちえ》を借るべき、相
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