に可なり危険な試金石が横《よこた》わっている。『あれ見よ、密夫の狂言とは、名ばかりで相も変らぬ藤十郎じゃ』と、云われては、自分の芸は永久に廃《すた》れるのだと、彼は心の裡に、覚悟の臍《ほぞ》を堅めていた。ただ、相手の傾城が、人妻に変ったばかりで、昔ながらの藤十郎だとは、夢にも云わせてはならないと、心の裡に思い定めていた。
が、それかと云って、藤十郎は、自分で口に出して云った通、道ならぬ恋をした覚はさらさらなかったのである。元より、歌舞伎役者の常として、色子《いろこ》として舞台を踏んだ十二三の頃から、数多くの色々の色情生活を閲《けみ》している。四十を越えた今日までには幾十人の女を知ったか分らない。彼の姿絵を、床の下に敷きながら、焦《こが》れ死んだ娘や、彼に対する恋の叶《かな》わぬ悲しみから、清水《きよみず》の舞台から身を投げた女さえない事はない。が、こうした生活にも拘《かかわ》らず、天性|律義《りちぎ》な藤十郎は、若い時から、不義非道な色事には、一指をだに染めることをしなかった。そうした誘惑に接する毎《ごと》に、彼は猛然として、これと戦って来ている。彼が、役者にも似合わず『藤十郎殿は、
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