句に巧な、今までの彼の舞台上の凡《すべ》ての演戯にも、打ち勝《まさ》った程の仕打を見せながら、しかも人妻をかき口説く、恐怖《おそれ》と不安とを交えながら、小鳥のように竦《すく》んでいる女の方へ、詰め寄せるのであった。
「が、この藤十郎も、人妻に恋をしかけるような非道な事は、なすまじいと、明暮燃え熾《さか》る心をじっと抑えて来たのじゃが、われらも今年四十五じゃ、人間の定命《じょうみょう》はもう近い。これ程の恋を――二十年来|偲《しの》びに偲んだこれ程の想を、この世で一言も打ち明けいで、何時《いつ》の世誰にか語るべきと、思うに付けても、物狂わしゅうなるまでに、心が擾《みだ》れ申して、かくの有様じゃ。のう、お梶どの、藤十郎をあわれと思召《おぼしめ》さば、たった一言情ある言葉を、なあ……」と、藤十郎は狂うばかりに身悶えしながら、女の近くへ身をすり寄せている。ただ恋に狂うている筈《はず》の、彼の瞳《ひとみ》ばかりは、刃《やいば》のように澄みきっていた。
余りの激動に堪《た》えかねたのであろう、お梶は、
「わっ」と、泣き俯《ふ》してしまった。
一〇
恐ろしい魔女が、その魅力の犠牲者を、見詰めるように、藤十郎は泣き俯したお梶を、じっと見詰めていた。彼の唇《くちびる》の辺には、凄《すさま》じい程の冷たい表情が浮んでいた。が、それにも拘《かかわ》らず、声と動作とは、恋に狂うた男に適《ふさわ》しい熱情を、持っている。
「のう、お梶どの。そなたは、この藤十郎の恋を、あわれとは思《おぼ》さぬか。二十年来、堪《た》え忍んで来た恋を、あわれとは思さぬか。さても、強《きつ》いお人じゃのう」こう云いながら、藤十郎は、相手の返事を待った。が、女はよよと、すすり泣いているばかりであった。
灯《ひ》を慕って来た千鳥だろう。銀の鋏《はさみ》を使うような澄んだ声が、瀬音にも紛れず、手に取るように聞えて来る。女も藤十郎も、おし黙ったまま、暫《しばら》くは時刻《とき》が移った。
「藤十郎の切ない恋を、情《つれ》なくするとは、さても気強いお人じゃのう、舞台の上の色事では日本無双の藤十郎も、そなた[#「そなた」に傍点]にかかっては、たわいものう振られ申したわ」と藤十郎は、淋《さび》しげな苦笑を洩《もら》した。
と、今まで泣き俯していた女は、ふと面《おもて》を上げた。
「藤様、今|仰《おっ
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