かね。女が可哀そうじゃないかね。どうせ二人で死んで行くのだもの。女が苦しんでいれば、お前も手をとって力を添えてやるのが人情じゃないか。それが、人間として美しいことじゃないかね。いいか悪いかは別問題として、そうあるべきところじゃないかね』
 先刻、女の死体を一目見たときに、僕は女が、どちらかといえば、呼吸器でもが悪いように瘠せた女で、男が陳述するような、勇気がある女とは、どうしても思えなかったのです。僕は、自殺幇助の事実があることを最初から信じていたのです。それに、先刻ちょっと見たときにも、傷口が一刀のもとに見事に突かれていることに気が付いていたのです。
『どうだい。俺には、あの女に、お前がいうほど勇気があるとは、どうしても思えないのだがね。そこが、不思議で堪らないのだがね。どうだい。本当のことをあっさりといってくれんかな。実はお前が、突いてやったのだろう』
 若者は明らかに狼狽しながら、
『いえいえ、滅相な滅相な』と打ち消しました。
『じゃ、きくがね。あの女の喉のところに掻き傷があるが、あれはどうしたんだ』
 若者は顔が赤くなったかと思うと、黙っていました。
『お前が、一緒に突いてやったのじゃないか』
 若者は、首を横に、微かに動かしました。
『じゃ、そんな覚えはないというんだね。女が喉を突くとき、お前の手は女の身体に触れていなかったというのかい』
『いいえ。二人抱き合って』
 僕は心のうちで、『しめた!』と叫びました。
『二人抱き合って、うむ。先刻は、そんなことはいわなかったようだね。なるほど、二人抱き合って』
『二人一緒に抱き合って、女が喉を突くと、一緒に転《ころ》げたのです。それで、血が出たから押さえてやろうとしたのです』
『なるほど、お前のいうことは、だんだん本当に近くなってきたじゃないか。が、もう少し本当でなければいかん。もう少しのところだ。もう少し本当にいえばいいのだ』
『それで、女がもがいて、手で喉を掻きむしったのです』
『なるほどな。それで、掻き傷ができたというのだな。そんなこともあることだから、それも本当にとれる。だけど、お前よう考えてみるがいいぞ。普通の女というものは気の弱い人間だぜ。鬼神のお松というような毒婦だとか、乃木大将の夫人などという女丈夫なら、そら一突きで見事に死ぬかも知れん、が、あの女のような身体の弱い女に、そんなことができるかできんか、誰が考えても分かることじゃないか』
 こういって来ると、相手の若者は、返事に窮したように、黙ってしまったのでした。僕は、もう一息だと思いました。
『何も、こんなことは、別にお前にきかなくても、初めからちゃんと分かっていることなんだ。掛りの医者を連れて来ているのだから、大抵のことは、お前にきかなくても分かってるのだ。が、お前が本当のことをいう男であるか、お前に何か取りえがあるかどうかと思って、きいているのだぞ』
 こういい詰めると、若者は苦しそうに、身を悶えていましたが、
『ああお役人さま。私は死にたいのです。どうぞ、私を殺して下さい!』
 彼は悲鳴のように叫ぶと、切なそうに、啜《すす》り泣きを始めていました。
 僕は若者を叱りつけるようにいいました。
『そんな気の弱いことでどうする。今が、お前の一生の中で、いちばん大事なときじゃないか。今までの間違っていたことを改めて、生れ変った人間として立派にやっていく、大事な潮時じゃないか、お前が、やったことが悪いとしたならば、死んだ人に対しても、社会に対しても、申しわけとして、相当な勤めを、立派に果して、生れ変って来るときじゃないか。こんな大切なときにウソを吐くようじゃ、お前はもう何の取りえもない、男子のなかの屑じゃないか。さあ、死にたいなどと、そんな気の弱いことをいわないで、潔く本当のことをいったらどうだ。短刀の柄の端を、少し持ち添えてやったとか、一緒に転ぶときに、少し押してやったとか。本当のことをいってみい!』
『夢中で、はっきりとは覚えていませんが、一緒に倒れるときに、私の手が喉のところへ行ったかも知れません』
 若者は、とうとう本当のことを、喋《しゃべ》り始めたのです。僕の面に、得意な微笑が浮ぶのをどうすることもできませんでした。
『なるほどな、が、お前も自分でやったことが分からんはずはないだろう、いや、お前はよう分かったつもりでいっているのだろうが、普通に考えると、どうもよく分からん。お前の肚《はら》になってみれば、よく分かるが、普通に分かるようにいってみんか。が、嘘をいえというのじゃないぞ』
 若者は、しばらく無言でしたが、ようやく決心したように、
『よう考えてみると、あれが自分で突き刺して、非常に苦しがっていたものですから、あれの上から、のっかかって、短刀の柄の残っているところを、持ってやりました。一緒にきゅ
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