島原心中
菊池寛
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)罠《わな》に
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)自殺|幇助《ほうじょ》の
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(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「足へん+宛」、第3水準1−92−36]《あが》く。
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自分は、その頃、新聞小説の筋を考えていた。それは、一人の貧乏華族が、ある成金の怨みを買って、いろいろな手段で、物質的に圧迫される。華族は、その圧迫を切り抜けようとして※[#「足へん+宛」、第3水準1−92−36]《あが》く。が、※[#「足へん+宛」、第3水準1−92−36]《あが》いたため、かえって成金の作っておいた罠《わな》に陥って、法律上の罪人になるという筋だった。
自分は、その華族が、切羽詰って法律上の罪を犯すというところを、なるべく本当らしく、実際ありそうな場合にしたかった。通俗小説などに、ありふれたような場合を避けたかった。自分は、そのために法律の専門家に、相談してみようと考えた。
自分は、頭の中で、旧友の中で法学士になっている連中を数えてみた。高等学校時代の知合いで、法学士になっている連中は、幾人もいることはいたが、郵船会社にはいって洋行したり、政治科を出て農商務省へ奉職したり、三菱へはいっている連中などばかりが思い浮んで、自分の相談に乗ってくれそうな、法律専門の法学士はなかなか思い当らなかった。その中に、ふと綾部という自分の中学時代の友人が、去年京都の地方裁判所をよして、東京へ来て、有楽町の××法律事務所に勤務していることを思い出した。上京当時、通知のハガキをくれたのだが、その××という有名な弁護士の名前が、不思議にはっきりと、自分の頭に残っていたのである。
自分は、綾部が、三高にいたときに会って以来、六、七年ぶりに、彼を訪ねた。彼は、学生時代と見違えるほど、色が白くなっていた。そして、三、四年の間検事をやっていた名残りが、澄んだ、そのくせ活気のない、冷たい目のうちに残っていた。彼は、快く自分を迎えて、自分の小説の筋に適合するような犯罪を考えてくれた。刑法の条文などをあちらこちら参考にしながら、かなり工夫を凝《こ》らしてくれたのである。その上に、彼はこんなことをいった。
「いや、貴君が、小説家として、法律の点に注意をしているのは感心です。どうも、今の小説家の小説を読むと、我々専門家がみると、かなりおかしいところがたくさんあるのです。懲役の刑しかないところが禁錮になっていたり、三年以上の懲役の罪が二年の懲役になっていたり、ずいぶん変なところがあるのです。それに、小説家のかく材料が、小説家の生活範囲を一歩も出ていないということは、かなり不満です。我々の注文をいえば、もっと、法律を背景とした事件、すなわち民事、刑事に関する面白い事件を、材料として大いに取り扱ってもらいたいですな。一体、完全な法治国になるためには、各人の法律に関する観念が、もっと発達しなければだめです。それには、もっと君たちが、法律に関係のある事件をかいてくれて、法律というものが、人間生活にどんなに重要な意義を持っているかということを、一般に知らしてもらいたいと思うのですがね。もし、君がかくつもりなら、僕が検事時代の経験をいろいろ話して上げてもいいと思いますよ」
そんな、冒頭をしながら、彼は次のような話を、自分にしてくれた。
「俥《くるま》が、大門を潜ったとき、『ああ島原とはここだな』と、思うと同時に、かなり激しい幻滅とそれに伴う寂しさとを、感ぜずにはいられなかったのです。お恥かしい話ですが、僕が島原へ行ったのは、その時が初めてです。僕は高等学校時代から大学へかけて、六年も京都にいたのですが、その時まで、昔からあれほど名高い島原を、まだ一度も見たことがなかったのです。一、二度、友人から『花魁《おいらん》の道中を見にいかないか』と、誘われたことがあったのですが、謹厳――というよりも、臆病であった僕は、そんなところへ足踏みすることさえ何だか進まなかったのです。
だから、大学を出て間もないその頃まで、僕の頭に描いた島原は、やっぱり小説や芝居や小唄や伝説の島原だったのです。壮麗な建物の打ち続いた、美しい花魁の行き交うている、錦絵にあるような色街だったのです。
従って、その日――たしか十一月の初めでした――上席の検事から、島原へ出張を命ぜられたとき、僕は自分の心に、妙な興味が動くのを抑えることができなかったのです。島原へ行く、しかもその朝行われた心中の臨検に行くというのですから、僕は場所に対する興味と、事件に対する興味とで、二重に興奮していたわけです。
『島原心中』という言
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