、当麻《とうま》と名づける家重代の長槍を把《と》って居た。城中の兵、眺め見て大将と認め、斬って出る者が多い。小林久兵衛前駆奮撃して重昌を護《まも》るが、丸石落ち来って指物の旗を裂き竿《さお》を折った。屈せず猶《なお》進んだ重昌は、両手を塀に懸けて躍り込まんとした時、一丸その胸を貫いた。赤川源兵衛、小川又左衛門等左右を防いで居た家臣も同じく討死である。久兵衛重昌の死体を負って帰ろうとしたが、これも丸に当って斃れて果てた。伊藤半之丞、武田七郎左衛門等数名の士が決死の力戦の後、竹束《たけたば》に重昌を乗せて営に帰るを得た。重昌年五十一であった。
石谷貞清も浅黄《あさぎ》に金の五の字を画《えが》いた指物見せて、二の丸近くに押しよせた。しかし崖は数丈の高さであり堀も亦至って深い。城兵また多く来襲して、貞清自らも肩を槍で衝かれた。家臣湯浅覚太夫がその城兵を突伏せたので、危く重囲を脱し得たが、従士は次々に斃れるばかりである。その処を赤い瓢箪《ひょうたん》の上に小熊を附けた馬印を押し立て、兵五百に先頭して、馳《か》け抜ける若武者がある。重昌の子|主水佐重矩《もんどのすけしげのり》である。父の弔合戦、
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