奉行、使番等数十名の浪士之を承った。加津佐、堂崎、三会、有馬、串山、布津、有家、深江、安徳、木場、千々岩、上津浦、大矢野、口野津、小浜等十数ヶ村の庄屋三十数名が物頭役として十軍に分った総勢二万七千、老若婦女を合せると三万を越す人数を指揮した。
上意をもって集る官軍は、鍋島元茂の一万、松倉重次の二千五百、立花忠茂の五千、細川光利の一万三千、有馬忠郷の八千を始めとして諸将各々兵を出し、城中の兵数に数倍する大軍である。上使重昌は、鍋島勢を大江口|浜手《はまて》より北へ、松倉勢は北岡口浜の手辺に、有馬勢はその中間に、立花勢は松倉勢の後方近く夫々に布陣した。十二月十九日寄手|鬨《とき》の声を揚げると城中からも同じく声を合せて、少しも周章《あわて》た気色も見えない。重昌、貞清、諸将を集めて明日城攻めすべく評議したが、有馬忠郷と立花忠茂は共に先鋒を争うのを重昌|諭《さと》して忠茂を先鋒と定めた。二十日の黎明《れいめい》、忠茂五千の兵をもって三の丸を攻撃した。家臣立花大蔵長槍を揮って城を攀《よ》じて、一番槍と叫びもあえず、弾丸三つまでも甲《かぶと》を貫いた。忠茂怒って自ら陣頭に立って戦うが、城中では
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