、四であろうのに、新子よりもむしろ妹に見えるほど、整い過ぎた美貌で、しかも笑うとたちまち子供じみてしまって、いうことも世間知らずな、お嬢さま気質が染みついていた。
「私、どうしてもお礼に伺わなければ、気がすみませんでしたの。ほんとうに、あんなに後援して頂きまして、有難う存じました。何か持って参ろうと思ったんですが、まだお目にかかったことがないので、どんな物が、お気に召すか分りませんので、お花ならと思いまして……」と、パラフィン紙の中から、強烈な匂いをこぼしている、アメリカン・ビュウティと呼ばれる赤みを含んだ黄バラの花束を、準之助の前に差し出した。
 若い女性から、花束を贈られたような例のない彼は、微苦笑を浮べて、
「これは、どうも恐縮ですな。」と、いいながら受け取って、炉棚《マントルピース》の大理石の上に、人形でも横たえるように、大事に花束を置いた。
 そして、席に帰ると、
「新子さんは、ご病気ですか。」と、先刻から気にかかっていることを訊いた。
「いいえ。私、新子にも内緒で、お礼に伺ったんですの。新子は、直接お礼に行ったら、いやだと申したのですが、私の気持として、お礼に参らずには、居られなかったのですの。ありがとうございましたわ。あの……劇は、よっぽど、お好きでいらっしゃいますの。」
 こちらが訊いた新子のことなどは、てんで触れようとしないのだった。自分のことしか話せないわがままな、しかし悪気のない性質だということが、感ぜられた。
「はア、昔は好きでしたが……」
「学校時代には、ご研究になりましたの? 何かお演《や》りになったことなどございません……」演劇以外には、人生にやる仕事がないと云わんばかりの演劇至上熱の中に、相手を引きずり込もうとするような訊き方だった。
「とんでもない、ただ見るのが好きなばかりでした……」と、準之助は、あわてて打ち消した。

        五

 演劇マニヤともいうべき、圭子は少しもたじろがず、
「でも、そういう方も、頼もしいんですわ。私なんかも、最初は見るばかり、読むばかりで満足したり、興奮したりしておりましたんですが、お友達の間に研究会というのが出来まして、新しい戯曲を訳したり、朗読したりしています内に、どうしても舞台に立たねば、収まらなくなりましたの。だから、先日の公演を機会に、学校の方はよしまして、舞台の方へ専心したいと思うようになりましたの。まだ、自分の天分には、充分な自信は持てないんですけれども……」
「はア。」一気に、喋りまくられて、準之助氏は、呆れながらも、しかし悪い気持はしなかった。涼やかな娘らしい声と、邪気のない、一本気な心の底が、見通せるような女性なので、微笑と共に肯いてみせた。それをよいことにして、圭子はすぐ話をつづけた。
「あのお金を届けて下さいましたときは、ほんとうに大助かりでございましたの。みんな学生ばかりですから、お金はちっともございませんでしたの。あの日も、劇場の借賃が払える払えないで、騒いでいましたの。ところへ、あのお金が来たものですから、みんな躍り上って欣《よろこ》びましたの。あの奥さまも、劇がお好きなんでございましょう。」
「いや、妻は……」
「まあ、お好きじゃございませんの、それは残念でございますこと……私また奥さまもお好きで、奥様のお口添もあったと思っていましたの……」
「いや。しかし、大変よい評判で、結構でした。軽井沢に居りましたので、新聞の批評だけで、舞台は拝見しませんでしたが……」
「それは、残念でございましたわ。初舞台ですから、充分工夫が出来ませんでしたの。あんな風に賞められると、かえって何だか頼りない気が致しますの。九月には、モルナールのものをやることになっていますの、その方が私の柄にあうんじゃないかと思っていますの。」
「はア。」準之助は、圭子の絶間ない饒舌に、少し辟易《へきえき》しながら、シガーに火を点じた。
「もう、明後日から稽古にかかることになっておりますの。劇団にはお金はちっともありませんし、この間の興行の借金が、結局いくらか残りましたし、今度はうんと切符を売らなければなりませんの。」言葉尻が、みんな子供のような笑顔で、消えてしまう女だった。
「僕も出来るだけ、後援致しましょう。」準之助は、半分義理で、半分好意でそう云った。
「あら! いいえ、そんなつもりで申し上げたのじゃございませんわ。」と、パッと小娘のように、顔を赤くした。

        六

 顔を赤らめた圭子の、お喋りはしていても、どこか初心《うぶ》なところのある容子《ようす》に、準之助は好意を感じて、ニコニコ笑っていると、圭子はまた喋り出した。
「私達の会にも、筒井子爵の息子さんが、パトロン格でいらっしゃりましたの。その方が、費用なんか持つとおっしゃるので、その方を当《あて》にして、やりはじめたんですが、この間の公演のとき、配役が不満で、間際になって、およしになりましたので、それでスッカリ予定が狂って、あわててしまったんですの。ほんとに、そんな役不足なんかおっしゃる方は、芸術を理解していらっしゃらないんですわねえ。」
「はア。」準之助が、大人しく聴いているのをよいことにして、どこまで続くか分らないお喋りであった。
 こうした演劇熱に夢中になるような姉を持ち、母や妹を控えて、一家の中心として働こうとしていた新子を考えると、自分の新子に対する行為が、結局新子の職業を奪ったことになったのが、ひどく悲しまれた。新子に対する償いのためにも、また自分の助力で、一つの研究劇団が興行を続け得るという楽しみのためにも、少し金を出してもいいと考えた。
「じゃ、劇団には基本金というものが、ちっともないんですか。」
「はア。」
「稽古を始めるのにも、いろいろお金がいるでしょうな。」
「交通費なんか、自弁なんですの。でも、貸席の費用とかお弁当とかそれに宣伝もしなければなりませんし……準備に四、五百円は……」
「ちょっとお待ちなさい!」と、立ち上ると、準之助は部屋を出て行った。
 だが、五分と経たない内に、帰って来た。
 準之助の中座を、気にしていたらしい圭子は、
「ほんとうに、もう失礼いたしますわ。」と、いいわけのようなことをいいながらも、準之助氏が、席に落ちついて、吸《すい》さしのシガーに火をつけると、また喋り出した。
「私に、もっと力があれば、費用なんかみんな出したいんですの。でも、父が死にましたし、つい新子に、あんな無理なんか申しましたの。でも、お金があると、何かといいですわね。方面は違いますけれど踊りの花柳登美さんなんか、舞台衣裳に、お金を糸目なくおかけになるので、あの方の芸が、それだけ引き立つんですわねえ。」と、少し脱線気味である。
「失礼ですが僕貴女の劇団の基金として、これを差し上げることに致します。」と準之助氏は、袂《たもと》から白い封筒を取り出すと、圭子の顔を見ないように、卓子《テーブル》の上をすべらせた。

        七

 圭子は、差し出されたその白い封筒を、一眼見ると、興奮に明るんでいる顔を、一層赤くして、
「いけませんわ。」と指先で、押しもどした。
「お収めになって下さい。失礼ですけれども。」
「だって、いけませんわ。今日はほんとうにお礼にだけ、伺ったんですもの。困りますわ。公演が近づきましたら、ご無心に上るかもしれませんけれど、今からこんなにして頂くなんて、いけませんわ。」
「いいじゃありませんか。公演の時は、公演の時として、また切符をお買いしましょう。これは、基金のような意味で……」
「でも……」と、云いながら、圭子はしばらくもじもじしていたが、
「どうぞ、お収め下さい!」と云う準之助の言葉に、圭子は一大決意を示したような表情で、
「じゃ、私個人としてでなく、研究会へ下さるものとして、頂戴してもいいでしょうか。」と、云った。妹に、文句を云われた場合に、自分の責任を軽くするための準備であろう。
「それで、結構です。」と、準之助が、微笑しながら云うと、
「では、有りがたく頂戴致しますわ。」と、云いながら細いきれい[#「きれい」に傍点]な指で無造作に、その封筒を取り上げると、舞台から持って来たような眼顔で会釈をして、ハンドバッグの中に収めた。
 その封筒を収めてしまうと、さすがの圭子も、自分本位のおしゃべり[#「おしゃべり」に傍点]をしばらく中止したので、準之助氏はやっと、こちらの云いたいことを云った。
「新子さんにも、お目にかかりたいんですが、そう貴女からもお伝えして頂けないでしょうか。」と、圭子はちょっとあわてて、
「あら、だって先刻も申しましたとおり、私新子に内しょで伺ったんですもの。でも、いいわ。私、それとなく新子に、早くこちらへお伺いするようにすすめますわ。」と、上目づかいに企まざる媚《こび》が溢れた。
「どうぞ。」
「それから、新子のことですが、奥様に何かお気に入らないことがあったそうですが、家庭教師の方がいけないようでございましたら、何か外に適当な……」と、初めて姉らしいことをいいかけた。
 準之助は、にわかに真面目な顔になり、圭子に皆までいわさず、
「はあ、それはもう。僕は全力をつくして、あの方のために計るつもりです。」といい切った。
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  重なる負目




        一

 初めは、美和子かと思ったほど浮々と上機嫌で、ジャズを鼻音で唄いながら、二階へ上って来た姉が、いきなり新子の部屋に、ニコニコした顔を見せると、
「私、驚いたわ。」と、いった。
「何が……」と、新子が、ぼんやりしていた顔を上げると、
「貴女《あなた》に、内緒にしておこうと思ったんだけれど、いわずにいられないわ。ねえ。」
「何? 一体。」
「私ね、やっぱり、前川さんのところに、お礼に行くことにしたのよ。」
「お止しなさいったら……」
「いやアね。人の話を半分しか聞かないで……もう行って来ちゃったのよ。」と、圭子は、福引の一等でも当てたように、得意な表情をした。
「嘘でしょう。いつ? 行く暇なんかないじゃないの。」
「今行って来たのよ。」
 夕景、銀座へ行くといって出かけた姉であった。新子は姉の非常識に、半ば呆れながら、
「いやだわ、お宅へ行ったの。前川さん、びっくりなすったでしょう。まあ! ひどいことするわ!」烈《はげ》しい非難をこめた。しかし、それは姉に通ぜず、
「前川さんて、素晴らしい紳士じゃないの。あんないい方ないわ。私ね、貴女が厭《いや》がっていたから、内緒にしておくつもりだったけれども、前川さんに言伝《ことづて》を頼まれちゃったのよ、貴女に、至急会いたいって! 令夫人は、帰っていないらしいわ。」
「いやだわ。行くのおよしなさいって頼んでいるのに、内緒に行って、そんな余計な言伝なんか頼まれて! お姉さまが直接お礼に行ったとしたら、私もう一生行かなくってもよくなったわ。」と、厭味を云ってから、重ねて、
「でも、もうこれから、前川さんのところへお芝居のことで、話しになんか行ったら、私本気で怒るわよ。」と、つけ加えた。
「そんなこと、今更云ってもダメだわ。前川さんのようないい方ないわ。今日、私この前のお礼しか云わないのに、黙って研究会へ寄附して下さったのよ。随分沢山なお金を……」
「まあ!」新子は、険しい顔で、姉を見上げた。
「そんなに、私に怒ってもダメだわ。私個人で頂いたんじゃないんだもの、研究会へ下さるとおっしゃるんですもの。私一人で左右すべきものじゃないんだもの。」と、新子の非難を外《そ》らそうとする姉を、新子はうらめしく睨《にら》みながら、
「一体いくら頂いたの?」と、詰《なじ》った。
「驚いたわ。私ね、二、三百円だろうと思ったの、それが、そうじゃないの。だから、あまり軽く頂きすぎたと思って後悔しているの。」
「それを、お姉さまは、私と関係なしに貰ったとおっしゃるの?」新子の声は、ふるえていたが、
「まあ、そうよ。」と姉はすましていた。

        二

「お姉さんッ!」正面に見据えて、こう呼びかけた新子の声には、押え切れぬ腹
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